「歴史とはなにか」 〜岡田先生・宮脇先生によるスペシャルセッションA〜
2010年7月31日(土)
7月31日(土)、岡田先生のご自身の歴史について語っていただいた後、いよいよ「歴史とは何か」と題して、岡田先生・宮脇先生の歴史観について語っていただきました。

歴史とはなにか

宮脇先生 今日は、歴史とはなにかということと、日本の古代史について、並行してお話ししていきたいと思います。

今日は、歴史とはなにかということと、日本の古代史について、並行してお話ししていきたいと思います。

まず、歴史とはなにかということについてお話ししましょう。私たちの「歴史」定義は「人間の住む世界を、時間と空間の両方の軸に沿って、それも一個人が直接体験できる範囲を越えた尺度で、把握し、解釈し、理解し、説明し、叙述する営みのこと」というものです。

私たちは、世界のあちこちで起きる出来事を一人では経験できません。だからそうした出来事を知るために、他の人の書いたものを用います。しかし、なぜ他人の書いたものが信用できるのでしょうか。そもそも、人の書いたものに、100%正しいものは存在しません。最初から存在しているものをただ覚えることは、学問でも何でもないのです。頭から信じてはいけません。

また、私たちがここで言っているのは狭義の「歴史」です。「地球の歴史」や「個人の歴史」という表現は、比喩として「歴史」という言葉を使っているだけで、ここで定義する「歴史」ではありません。岡田は、まず言葉を定義してから始めます。あやふやな意味のまま言葉を使うなら、それは学問ではないでしょう。

また、時間と空間に対する認識の仕方も、歴史の重要な要素です。私たちは、空間を行き帰りして、自分の体で測ることができます。でも、眠って目を覚ましたとき、道具なしで「自分は何時間寝た」とは分かりませんよね。

時間は、感覚で直接認識はできません。 私たちは「時間の長さ」と言いますが、これは、動く物体を基準として、空間を時間に置き換えているのです。たとえば、地球の自転の周期を一日、公転の周期を一年としています。

ちなみに今年は紀元2010年ですが、キリストの誕生は紀元前4年だろうと最近は考えられています。つまり紀元0年というのはウソなのですが、後から数字を変えたら大混乱になります。こうした数字は、みんなが使っていることに意味があるので、今のままでいいのです。

私たちは、世界のグローバリゼーションの基がキリスト教圏なので、紀元を使います。大切なのは、このような物事の始まり、原因を知ることです。由来を知ることが、学問のスタートになります。


日本古代史について

宮脇先生 日本古代史の話に入りましょう。皆さんは、聖徳太子について学習されたそうですね。1980年代まで使われていた一万円札の聖徳太子像は、最近では「伝」聖徳太子像と呼ばれます。学問的でないと分かったからです。1980年前後に、中国の西安のお墓から、この像とほぼ同じ絵が出てきました。これは過去、同じような絵が中国から日本に入ってきて、これを聖徳太子の顔にしようという話になった、ということです。

実は太子の像には、初め但し書きがついていました。「これは大陸から渡った僧が夢に見た太子の姿」だとね。あの服装は、唐のファッションですよ。つまり、描かれた当初から怪しいものなのです。

また、中国側の記録である「隋書」では、「日出づるところの天子…」という国書を送った倭国の王は「男」だと書かれています。一方の日本書紀では、太子が「唐に」使者を送ったと誤って書かれています。日本書紀のために文献を集めて整理したとき、間違えたのでしょう。

つまり、太子の実在は「よく分からない」のです。しかし、教科書はこれを無視し、隋書と日本書紀の都合のいい部分をくっつけています。


歴史は武器になる

日本書紀のような「国史」は、扱いが難しいものです。歴史書は、千年後の人に読ませるためでなく、その当時の人々に読ませるために書かれます。書いた理由があり、そのための結論や筋書きが作られますから、国史の内容は民族や国家によって非常に変わってきますね。複数の国史同士のすり合わせや真実の探求は、やめた方がいいでしょう。

意図的につくられた歴史は世の中に多くあります。それを見分ける目は、私たち自身が持たなくてはなりません。

また、歴史は武器にもなります。たとえば、領土の主張などには、歴史は強い力を発揮します。自国が古くからこの地域を領有していた、と言うために、歴史はより古い時代へとさかのぼって書かれていくのです。ドラマでも、古い時代を良く見せる描き方をしますね。

「日本人は中国・朝鮮半島の人々の子孫」という言い方もされますが、過去の人々と今の我々とは、違います。現代のナショナリズムはわずか200年前に生まれたもので、それ以前は明確な国境など切れません。中国も、もとは黄河の中央部分のみを指す言葉でした。しかし、漢字を使う国は中国だと言い始めて、現在の領有区域を主張するに至ります。ここには、逆転の論理が働いているのです。

国史の難しさは日本にも当てはまり、本当のことを言ってしまうと、白い目で見られることになるでしょう。

私たちは、柔軟な思考を持たねばなりません。偉い人が書いたものが歴史、などということは、決してありません。

歴史は武器にもなる、難しい分野です。ですが、学びがいのある、楽しい分野でもありますよ。


岡田先生の体調を気にしながらのレクチャーでしたが、予定よりも大幅に延長して行われました。 そして、その後に展開された質疑応答も、長時間にわたりましたが、岡田先生も乗りに乗り、終わったのは夕方になってからでした。 では、つづいて質疑応答の模様をご紹介します。


質疑応答

坂井田(高2) ものを知るということは、その物語を知ることなのでしょうか。年表ではなく、物語があるのが歴史ですか?

岡田先生 歴史は、人間の名前だけではできません。短くとも、名前があれば物語があります。

宮脇先生 「story」と「history」の語源は同じで、やはり物語による肉付けが必要です。物事には相互関係・因果関係があり、その物語こそが歴史です。

坂井田 「歴史」と「史実」には違いがあるのでしょうか。

岡田先生 ありません。同じですね。

宮脇先生 「史実」という言葉をわざわざ使うということは、対立する考えがあり、それに対して「これが本当」と主張する気持ちが含まれているのでしょう。私たちが「歴史」というときは、「史実」だけでなく、過去を物語るもの全てを含めて考えています。言葉の意味は曖昧なものです。言葉に普遍性を持たせたいなら、意味を定義して使えばよいのです。



田端(高1) 宮脇先生は、岡田先生のご病気の際、なぜあきらめずに論文を再度読ませるといったことができたのですか。 また、『三国志』著者の陳寿は蜀の出身ですが、自分と全く関係ない呉書などをなぜ書くことができたのでしょう。

宮脇先生 自分が学問の世界で行き詰まっていたとき、岡田は本気で学者になるための指導をしてくれました。私は与えられるばかりで返せるものがないと思っていたのですが、脳梗塞で岡田が倒れたとき、「ああ、こういうことだったのか」と思いました。物事は何でも一長一短です。私は、いい方向に物事を考えています。 呉書については、筆者に材料がそろえば、その場所にいなかったとしても歴史を書くことはできると思います。

橋場(高1) 私は美術が好きなのですが、岡田先生の歴史観を知ってから、宗教画に権威づけを感じるなど、見る目が変わりました。岡田先生は古文書を史料として歴史を読み取られますが、近代史以降は工芸品からも読み取れないでしょうか。

宮脇先生 岡田はもともと言葉というものが好きで、美術は分野が違うのです。色や形には固有名詞がありませんよね。岡田は、昔の人が半端に書いたものでも、文字が使われたものには猛烈に興味を抱きます。だからこの点は、好きずきだと言っていいでしょうか。私自身も、言葉の才能が岡田ほどありませんから、研究では岡田と違うものを見ています。

吉野(高2) 自前の歴史を持っていたのは地中海文明と中国文明だけで、もともと物語りかたが違うと聞いています。もしこれらを一つにして「世界史」を描き出すなら、どのようにすればよいのでしょう。

岡田先生 一つの世界史を描いている本はまだありません。『世界史の誕生』が、世界史を描く試みの最初です。

宮脇先生 ヨーロッパは人間と同様に国にも盛衰があると考えます。だから「国の興亡」という表現を好みます。一方で、中国は「正統」の歴史です。天命によって君主が決まりますから、今でも二君並び立たずという考えがあります。 もし、この二つの歴史を一つにしてしまうと、どちらかの歴史を否定することになります。また、融合してどちらでもないものを作りだすのも、それは妥協でしかなく、歴史の抹殺であると言えます。 アメリカ独立戦争からは一つの枠組みで世界を描くことができるはずですが、それ以前は各地方ごとの物語しかありません。その過去をばらばらにしたら、年表にしかならないでしょう。ただ、大航海時代・国民国家の時代以降は、一国史の枠組では誤りを犯してしまいます。

福島(卒業生) 私はいま外国語学部で言葉を学ぶ身なのですが、岡田先生は、何にひかれて言葉を好きになったのでしょうか。

岡田先生 これは、もって生まれたものだと言えます。どこが好きで言葉に興味を持ったのかは、うまく言葉では表せません。自分の資質だと思います。



早川(卒業生) 古典中国語に文法がないということですが、文法は言葉を構成する最低限の要素ではないのでしょうか。 また、漢字は情緒に欠けるということについてもご説明頂けないでしょうか。

宮脇先生 文法については、主語・述語・目的語の順番が変わっても意味の変化が起きない、ということです。時代によって漢文の担い手は変わりましたが、タイ系とアルタイ系で語順が違っても、漢字を使えば意味が通じました。モンゴル以降、特に現代の中国語には日本語の文法の影響が見られますが、古典の漢文は論語などでも意味が取りにくく、読み方を丸暗記するしかありません。 また、漢字は目に見えない、抽象的な思考に不向きで、花や木といった具体物を通してしか情緒を表現できません。隋・唐代の漢詩を日本人は好みますが、実は、その頃の人たちはトルコ語など、自分の話し言葉を持っていたのです。日本人も、漢文に日本語をつけて情緒たっぷりに読み下すでしょう。

河辺(高1) 岡田先生にとって、歴史研究は人生とどのように関わっていますか。

岡田先生 自分の人生そのものと歴史学者としての人生は、一致しています。

宮脇先生 岡田は生まれながらの学者です。学者が服を着て歩いているようなもので、他の人格はありませんね。

中内(高2) よい歴史を描くには豊かな個性が必要とのことですが、どうすれば様々な視点や豊かな個性が得られますか。

岡田先生 方法はその人次第ですね。

宮脇先生 ハウツーはありません。ただ、岡田は新しい物事を思考に組み込む際、脳がフル稼働し、全てを組み替えます。新しいデータを脳に入れるだけでなく、昔のデータに組み込んで全てを考え直し、新しい人間になるのです。物事を拒否せず受け入れれば、人間は豊かになります。だから、受け皿は広くしましょう。どんなことも、何を見ても楽しくなります。最初は丸呑みのようでつらくても、ある日、霧が晴れたように面白くなりますよ。突然データ同士が噛み合い、全てが関係していることが分かるのです。

森島(賛助会員) なぜ、歴史について「狭義」に限っていらっしゃるのですか。 また、ヨハネの歴史を書くときに、どうすれば「一個人」を超えられますか。

岡田先生 狭義の歴史と定義づけるのは、私が芯から理科系の人間だからです。 「一個人」であっても、歴史を書こうと思っている段階ですでに「一個人」超えていることに気づきませんか。

宮脇先生 自分の感じていることをつなげても、ヨハネの歴史にはならないでしょう。「歴史を書こう」と考えた時点で、もう一個人という枠の外に出ているということですね。


まだまだ質問は絶えませんでしたが、残念ながらこれにて打ち止めにさせていただきました。さすがに岡田先生、宮脇先生の歴史観に関する言葉、一つひとつが重いものでした。 近いうちにもう一度お招きする予定でいます。おたのしみに。