ヨハネ研究の森でこの間「共鳴」とは何かということを検討してきました。合唱を通して「共鳴」する、体育祭で一体になって「共鳴」する、寮生活で「共鳴」する。意識しなくても人間は「共鳴」する。一体なぜ「共鳴」するのか。「共鳴」とは何か。そのことを考えるため私たちは今ターム、「人類の始まりの地 アフリカ」についてセッションを重ねてきました。
全ての物には始まりがある
私たちが今「当たり前」と思っているものは、本当は、ちっとも当たり前ではありません。スマートフォンやテレビ、パソコン、電気、飛行機、電車、自動車、ほんの100年前には夢のまた夢、絶対に不可能なものだと思われていました。
一体いつ、どこで、誰が、なぜそれをつくりだしたのでしょう。
たとえば、今iphon5というスマートフォンがありますが、この「iphone」は今、世界中の人が「ああ、あれのことだよね」と思うことができるものの一つでしょう。子どもから大人まで多くの人が知っています。
けれど、その「iphone」は、ほんの10年前には影も形もありませんでした。「iphone」は2007年にスティーブ・ジョブズが生み出した携帯電話の新しい形です。
何千曲もの音楽を一度に持ち運べる携帯音楽プレイヤーの革命である「ipod」に電話とメール、様々なアプリを導入することができるようにした「iphone」は、従来の携帯電話を「古くさいもの」へと変え、新しい携帯電話の在り方を生み出しました。
たとえば、たったこれだけの「iphone」についての「歴史」を知るだけでも、「iphone」とは何かという見え方が変わってしまいます。「iphone」は単なる携帯電話の一つではなく、「携帯電話の新しい形」を生み出したものとして見えてくるのです。
「始まりへとさかのぼる」ということを通して、それまでとは全く違う「見え方」を手に入れることができるのです。
ヨハネ研究の森では「全ての物には始まりがある」ということがよく言われます。現在から時間を「さかのぼっていく」ことで、今の自分たちの「当たり前」がちっとも「当たり前でなかったとき」へと視野を拡げていくのです。
この「遡行(さかのぼり)」は、「歴史」を受け継いでいくということに関係しています。私たちは好むと好まざるとに関わらず、人類の積み重ねてきたものの上にいるのです。「始まり」へとさかのぼっていくことを通して、私たちは「当たり前」と思って、意識することもなかったものの本当の姿を知ることができます。
今ヨハネ研究の森で扱っている「人類とは何か」。それは「自分自身」をさかのぼっているのです。
人類はアフリカから始まった
現在、地球上に70億人の人類がいます。民族、宗教、イデオロギーは違っても、誰もが共通して持つ「人間らしさ」があります。
それは20万年という進化の過程で祖先から受け継いできたもので、今も、そしてこれからも私たちの行動を左右していくものです。私たちはどのように生きるのか。私たちの「力」とは何なのか。「人間らしさ」は一体どこから生まれたのでしょうか。
現生人類、私たちホモ・サピエンスの歴史は約20万年前から始まります。ホモ・サピエンス最古の化石をもとに姿形を再現すると、現代人そっくりで、身体は何の進化もしていないように見えますが、人類はこの20万年をかけて「心」を進化させてきたのです。
日本から地球を半周したアフリカで人類は誕生したと言われています。そして、人類はその歴史の4分の3をアフリカのみで過ごしていたのです。
アフリカの草原は厳しい乾燥にさらされ、毎日の食事を見つけるのも大変でした。木の実や土の中のイモはいつも同じ場所に生えているわけではありません。家族で出かけ、皆で手分けして食べ物を探す。人類の祖先は何万年もこうした暮らしを続けていました。
1人が見つけた小さなイモを独り占めは決してしません。みんなで協力して集め、みんなで分かち合う。人間は協力し合うことで、乾燥した厳しい大地を生き延びてきた生き物なのです。
「仲間と協力して生きる」ということは、人類が10万年以上前から続けてきていることです。
仲間と協力するのが人間らしいといっても、もちろん他にも仲間と共に生きている生き物はたくさんいます。チンパンジーも群れで生き、彼らも仲間同士で協力しています。
チンパンジーと人類を比べる
チンパンジーの仲間との協力の仕方と人類を比べれば、人類だけが持っているものが見えてきます。
人類は、700万年前にチンパンジーと分かれました。遺伝子は今でも1%ほどしか変わりません。
そのチンパンジーの協力の仕方を見てみると「チンパンジーは明示的に要求されない限り相手を自発的に助けるということはしない」という特徴が分かってきました。お節介に思われるようなことはしません。
しかし、人類は、ボランティアという言葉があるように、「自らすすんで協力をする」ことができます。この違いはいったいなぜ生まれたのでしょう。
「骨盤」の違いからその違いが生まれたのではないかという仮説があります。人類の骨盤は横長です。この骨盤の形が産道の形を決め、出産方法に大きな影響を与えたのです。
人類は難産になり、介助が必要となりました。チンパンジーは出産は楽で、母親は1人で産み、1人で育てることができます。
人類は二足歩行に有利な姿勢を取ったことによって、骨盤が変化し、難産になってしまった。そのため、出産のときから、協力し合うという独自の道に進んで行ったのではないかというのです。
なぜアフリカを出たのか
6万年前、人類はアフリカを出たと言われています。しかし、化石から見ると最初の出アフリカは失敗したということが分かっています。ネアンデルタール人に追われて、ホモ・サピエンスはアフリカに押し戻されてしまったのです。
しかし、今ホモ・サピエンスは世界中に広がっています。私たちの祖先はどこかでネアンデルタール人に打ち勝つ方法を見つけ出し、アフリカを出ていったのです。一体どのようにしてアフリカを出て行ったのでしょう。
その鍵になったのは「飛び道具」だったのではないかという仮説があります。投てき器を手に入れたホモ・サピエンスは、100メートル以上先まで槍を飛ばすことができるようになりました。今でもそれを使っていたアボリジニたちが生きています。彼らは鹿などの大型の動物だけでなく、ウサギなどのような小動物もその投てき器を使うことで狩りができるようになったのです。
人類はなぜアフリカを出たのかということについては、食料が豊富になったことによる人口増加が原因ではないかという説があります。人口が増えて、住む場所がなくなったためにアフリカを出て行かざるをえなかったというのです。
投てき器という強力な武器を手に入れたことによって、人類はネアンデルタール人に打ち勝って、アフリカを出て行くことができるようになったというのです。人類の発祥と出アフリカについては様々な仮説がありまだはっきりしていません。
自分で仮説を立てる
人類学や文化人類学の研究では、地球上の人類は全部共通しているという前提で研究しています。しかし、本当にそうなのでしょうか。
アフリカにいた人は一種類だけだったのかどうか。今、モンゴロイド、コーカソイドといったように人種がありますが、その起源となるようなものは既にアフリカを出る以前にあったのではないでしょうか。
1種類の人種がアフリカにいて、それが地球上に広がっていく過程で分かれていったというイメージがありますが、本当はどうなのでしょう。自分の頭で考えてみるということが重要です。
単に本にそう書かれていたからとか、誰かがこう言っていたからと鵜呑みにするのではなく、自分の頭と心で考えてみてください。
『99%は仮説』という本もありますが、教科書だって絶対ではないんです。現段階で、これが正しいのではないかと思われるということが書かれているだけです。
人類について考えるということは、「自分とは何か」というアイデンティティーの問題です。DNAの研究が進んでいて、自分の起源をたどっていくことができるようになって、昔は、哲学者が出てきて、「人間とはこういうものである」と言って済んでいたけれど、今はそれでは済まなくなっているのです。これは1人ひとりが考えなければいけない問題です。
人間が使う言葉
「自分とは何か」、「人類とは何か」ということをさかのぼって考えていくときに、「言語の起源」は最も大きな問題の1つです。この問題は避けて通ることはできないでしょう。
昔から「人類の言語の起源」は最大の議論を呼ぶテーマでした。
しかし、言語学の世界では、100年前、科学がまだ未発達で、今のように分析することができなかった頃、いい加減で曖昧な議論が紛糾するばかりだったためパリの言語学会が「言葉の起源については研究してはいけない」と決めました。言語学の専門家は、言語の起源を扱うことはできなかったのです。
現代は、科学の発達やDNA分析が可能になってきて、言語の起源を本格的に扱うことができるようになってきています。人間はいつ頃から言葉を扱うようになったのでしょうか。人間が使っている言葉は、他の類人猿が使う言葉とどこが違っているのか。そういう研究がされてきています。
40年前は、地球上に同時多発的に、人類の起源となる類人猿がいて、そこからそれぞれ進化を遂げて現在に至っているという考え方が支配的でした。言葉も同時発生的に生まれてきたと考えられていました。
しかし、最近のDNA分析の結果、現生人類の起源はアフリカから出てきたということが分かってきています。
人類がアフリカから生まれてきたとすると、言語もそこで生まれたと考えられるのではないでしょうか。
言語起源説は、いろいろありますが、ジュウシマツの歌、鳥のさえずりにその起源を求めようとしている岡之谷一夫さんという研究者がいます。
ジュウシマツのオスの鳴き声を録音して徹底的に分析するとその鳴き声に一定の文法があるということを岡之谷さんは発見しました。
ここにすでに言葉の萌芽が見えるのではないかというのです。
みなさんは、どう考えますか? 自分とは何か、人類はどこから来て、どこへ行くのか。言葉とは何か。今自分がどこにいて、どこへ向かっているのかを1人ひとりが検討しましょう。