なぜ日本人に英語が必要か 〜 サマースクール2013 〜
2013年8月24日(土)



2013月8月19日〜8月24日の日程で2013年度のサマースクールを開催しました。 今回のサマースクールでは、一学期の「日本人が身につけるべき英語とは何か」という検討に引き続き、 「公用語としての英語」について考えました。 英語を公用語とする国は、インドやパキスタン、フィリピンをはじめかつて「植民地」だった国々です。 それらの国々の歴史を検討し、英語が当たり前のものになっていく秘密を探りました。



植民地は支配されている?

「植民地」と言うと、どこかの国の支配下に置かれた国や場所というイメージがあります。強制的に、言いなりにさせられ、不自由を強いられているような印象です。たとえば、インドは、かつてイギリスの植民地でした。

インドは、マハトマ・ガンジーが非暴力・不服従運動によって独立に導かれますが、イギリスから独立した後も「準公用語」は今でも「英語」です。

もし、無理矢理に強制されて、不自由を強いられていたならば、独立するときに、イギリスに関わるものは全てなくしてしまうのではないでしょうか。ガンジーは「何千何万何億の人々に英語教育をすることは、奴隷状態に陥れるようなものです」と言いました。

それにも関わらず、独立したインドは一体なぜ英語を公用語として使っているのでしょう。



都市の成立過程

人類学者の西田正規先生は「都市は農村に寄生している」と言いました。農村で生産した物を都市が一方的に消費していると言うのです。

寄生されている農村は嫌々寄生されているのでしょうか。これは植民地と宗主国との関係に似ています。

歴史学者の岡田英弘先生は、都市の成立過程について中国の都市の成立過程から仮説を提示しています。最初は、自給自足でみんな暮らしていて、そこに、商売をするために他の土地から商人がやってきます。

商人たちは、塀に囲まれた都市をつくります。その中で商売をする。そうすると、近所の原住民たちが農業をはじめます。

なぜかというと、農業を専門にやって、たくさん作って、たくさん買ってもらえると生活に必要な物が全て手に入るからです。効率よく、豊かになります。

都市の周辺に集まってくる人たちは、首に縄をつけられて無理矢理に集められているわけではないんです。これは、都市の近くにいた方がメリットがあるからいるんです。好きこのんでやってきて、そこにいるわけです。



英語で広がる世界

イギリスは産業革命を経て、機械で大量生産が可能になりました。植民地となったインド人の影響力のあるグループ、上層階級の人たちは、イギリスの最先端の技術や科学知識に感銘を受けていたのです。彼らは、イギリスが教育のための費用を出してくれると言ったときに「イギリス人紳士を雇い入れて英語で数学や技術を教えてもらおう」と期待していたのです。

明治維新のときに、日本が欧米の技術や知識を取り込もうとしたのと同じことをインドなどの植民地の国では「英語」で行いました。インドの人たちは、最先端の科学や技術を取り入れるためには、英語を介してしかアクセスできませんでした。だから、独立した後も英語を公用語にしているのです。



日本語は特殊な言語

日本人も欧米の最先端の技術を取り入れています。しかし、日本人は最先端の情報に英語ではなく、日本語でアクセスすることができるのです。そこがインドとの大きな違いです

インドの人たちは最先端の情報にアクセスするためには英語でなければできませんが、日本人は日本語でアクセスができる。いったいどうしてでしょう。

明治時代、欧米の知識を日本に持ち込もうとした日本人は、たくさんの英語の本を翻訳しました。それまで日本にはなかった言葉や概念がそこで大量につくりだされました。「社会」や「殖民」といった言葉もそのときにつくりだされた言葉です。外国語を日本語として取り込むことができるという日本語の特徴が、最先端の知識や情報への日本語でのアクセスを可能にしているのです。

日本人は、日本語を使うことによって世界を知ることができます。 そのような意味では、日本人にとっては英語を学ぶ必然性がないのです。 インドであれば、高等教育を受けるためには英語が必須ですから、やらざるを得ない。 日本では日本語で大学、大学院まで教育を受けることができます。これは世界でも特異なことなのです。



日本人に英語はなぜ必要か

多くの日本人にとって、英語はテストでしか使う機会がありません。教育を受け、仕事をしていくのに、日本語ができればやっていける状況があって、英語ができなければ即座に困るという状況がないのです。

それは、日本語が特別な言語で、外国語の新しい概念を日本語に翻訳して取り入れていくことができるということが影響しています。たくさんの本が翻訳され、どんな本も日本語で読むことができるのです。

さて、英語は本当に日本人にとって必要なのでしょうか。一部の人たちが翻訳したり通訳してくれさえすれば、多くの日本人が英語圏の情報にアクセスできるのですから、わざわざ英語を学ぶ必要はないのではないでしょうか。

「これからの時代、英語ぐらいできなくては」と多くの日本人が思っていますが、依然として英語が使えるようにならないのは、本当は必要ないからなのではないでしょうか。

日本人に英語はなぜ必要なのでしょうか。このことをそれぞれがもう一度考えることを通して、英語を学ぶことの意味や意義を改めて理解できるでしょう。

夏休み後半。それぞれがこのことを検討し、書いてまとめててみてください。