暁星国際小・中・高等学校 Gyosei International School
ヨハネ研究の森コース St. Johon's School
2011年度ヨハネ研究の森コース 研究発表会
2012年2月11日(土)
2月11日(土)・12日(日)の2日間、「2011年度ヨハネ研究の森コースの研究発表会」を行いました。 東日本大震災を経て、ヨハネ研究の森コースではこの1年間様々な検討を重ねてきました。 この検討の結果を「文明と天災 〜 今後、どう生きていくのか 〜」としてまとめ、研究発表会で発表をしました。 今回は研究発表会のイントロダクションの様子をお伝えします。
当たり前とはなにか
坂井田
ヨハネ研究の森では、2009年度から人類史の検討を続けてきています。 そして、昨年度は「文明とは何か 〜 当たり前をさかのぼる 〜」をテーマとした研究発表会を行いました。
なぜ私たちは「文明」をテーマとした研究を行ったのでしょうか。 その理由をお話しするために、まず「当たり前」とは何なのか、考えてみていただきたいと思います。
私たちにとって「当たり前」とは何でしょう。 電気を使った生活、ということも当たり前でしょうし、ガスや水道があるのも当たり前です。 食堂でご飯を毎日食べられるのも当たり前なのかもしれません。 鉛筆と消しゴムを使って勉強できることが当たり前、という人もいます。 当たり前というものは、ひとそれぞれと言えるでしょう。
人類史について学んでいく中で、ヨハネ生は少しずつ「当たり前」のことが本当は当たり前ではないのだ、 ということに気づいていきました。 そして、最初に取り組んだのが「定住」という問題です。
定住革命と文明
人類が誕生してから500万年が経ったと言われます。 しかし、人類が定住という生き方を続けてきた期間は、その1/500、約1万年でしかありません。 なぜ人類は、わずか1万年前に、定住生活を送るようになったのでしょうか。
この問題について、文化人類学者の西田正規先生は、 環境の変化によって定住「せざるを得ない」状況へと人間が追い込まれた、という考えを示しています。 私たちは今、当たり前のように定住生活を送っていますが、人類にとってそれは当たり前ではないことだったのかもしれません。
こうして考えてみると、私たちが今まさに送っている生活そのものに、 本来は「当たり前」でなかったはずのことが多く含まれています。 そして、私たちは今の生活に疑いを持たずに生きています。
たとえば、私たちが当たり前のように使っている携帯電話は、どこでどうやって作られているのでしょうか。 野球の応援グッズがほしいという人がいますが、そのグッズはお店で買ってくるのだと思います。 私たちは、自分で作れないものも、他からもらってきて自分のものにしているのではないでしょうか。
昨年度の私たちの研究発表では、このような「交易」が私たちの「文明」と呼ばれるものと関係しているのではないか、 という見解を示すことができました。 交易による豊かさの拡大は、私たちの「当たり前」に強く関係している、と私たちは考えています。
ただ、それで「文明」のすべてを分かったとは思えません。 外から見た文明の姿はとらえられてきたような気がします。 しかし、自分自身と文明との結びつきというものには、まだ納得がいかなかったのです。
3.11から学ぶ
そして、人類史や文明について、研究発表会後も検討を続けていた2011年3月、東日本大震災が日本を襲いました。
それまでヨハネ生は「当たり前は、どうやら当たり前ではないらしい」と頭の中だけで考えていました。
しかし、大震災によって現実自体がひっくり返ってしまいました。 当たり前が当たり前でなかった、ということが、目の前で明らかになってしまったのです。
大震災の後、私たちには改めて「当たり前」を振り返ることが必要になりました。 これまで疑いすらしなかった地震・津波の原理や原子力の安全性が、 不安定な基盤の上に語られていたものでしかなかったことに気づかされたからです。
これからどう生きるのか
今日まで私たちは「災害」「文明」「復興」の3班に分かれ、改めて自分たちの「当たり前」が 何だったのかを検討してきました。 これから私たちが文明の中でどうやって生きていくべきなのか、1人1人が考えていきたいと思っています。