メディアの時代を生き抜くリテラシー(前半)
2011年10月28日(金)

日本の学校教育が直面しているもっとも大きな課題は、「子どもの心が育たない」ということ。 テレビやインターネットの普及で「知識」だけは大人顔負けの子どもたち。子どもを「口舌の徒」ではなく、 「一人前の大人」に育てるために必要な「リテラシー」とは。


メディアが拡張する人間の感覚

笠原(正)T インターネットやパソコン、ゲーム、テレビ、こういうものは「メディア」と呼ばれますが、 メディア論では電車や車もメディアですし、ペンやノート、電子手帳もメディアだとされています。 そして、私たちの感覚は使う「メディア」によって違いが出ます。距離感、時間の感覚、速さ、 ありとあらゆるものは使ったメディアによって生じる感覚が違います。

江戸時代の日本で「お伊勢参り」というのが流行った。 江戸の人が一生に一回だけ勤め先を休んでいいときがあったんです。 本来ならば一生休暇なんかないので、どこか旅に出るということはあり得なかった。 でも一生に一度だけ旅に出ることが許されたんです。それがお伊勢参りです。 みんな伊勢神宮に行く。これを一生に一回だけやっていい。

みなさんは「一生に一回、伊勢神宮にしか行けないなんてかわいそう」と思いますか? それは新幹線や飛行機で移動する現代人の感覚なんです。当時の人は足で移動しているので、 伊勢は「一生に一回行くに値する場所」だった。「十分遠くまで行った」、「もうこれでOK」と、 他の土地のことは一切知らないけれどそれで十分満足だった。これがメディアです。


インターネットと学校

インターネットを使えば、なんでもあっという間に分かりますね。 原発でも、タイの大洪水でもあっという間に分かる。圧倒的に速い。 そしてだいたいのことが分かってしまう。YouTubeを見たら原発の爆発してる映像だってみることができます。 簡単にあっという間に、ありのままの様子が分かる。本を読まなくても、テレビやYouTube、Googleですぐ分かる。

インターネットを使うと何でも知ることができます。しかし、本当のところそれは一体何なのか。 新しいメディアですが、中身はよくよく見てみると実は古いものだったりします。 新しい情報は洪水のようにあふれていますが、何が重要で何が重要でないか分からない。 本当のところインターネットとは情報源としてなんなのか。誰が本当のことを話してくれるんですか? どれが大事でどれが大事でないかどうやって判断するんですか? なんでも一瞬で調べることができるけれど「知ってる」ってなんですか? 「本当のこと」ってなんですか? もうインターネットを調べるだけで本を読まなくていいし、 先生もいらないのでしょうか?

ある意味では必要ありません。学校も先生もいらない。 あなたたちは「知識」という面では大人を超えているかもしれない。 あることについては私より詳しく話すことができるでしょう。原発について私より詳しいんじゃないですか? 学校はもういらないでしょう。なぜかというと学校はもともとあなたたちが情報を手に入れるためのものだったからです。

昔は本しかありませんでした。文字を読み書きできるのは、特権階級の偉い人だけだった。 だから、昔の情報を手に入れるためには文字を習う必要があって、子どもたちは学校で文字の読み書きを習いました。 当時の「子ども」とはなにかというと「大人の知っていることを知らない人」でした。

でも、今はどうですか? テレビを見たら原発や津波がどんなものだったのか一瞬で分かります。 小学生でも「世界はこうなってるのか」ということがまるっと映像で理解できる。 めでたいですね、いいことじゃないですか。「知識」を知るために学校に行っていた。 テレビとインターネットがやってきた。一瞬で情報を調べ、すべての情報を素早く手に入れられる。 もう苦労して勉強する意味がなくなりました。テレビとかインターネットを見たら大人と同じことを知ることができます。


大人になるとはどういうことか

もう学校なんか辞めて、パソコンで遊んでればいいんですよ。 それでいいのに、なぜそうしないんでしょうか? 私は学校の先生になったときにこんなことを思ったんです。 「大人と子どもを隔てていた『知識』という壁がないのなら、学校で何を学ぶのか」と。

子どもは大人の何を見習うことができるのか。先生は何をすればいいのか。 私は「私が持っている知識の量」を見せつけてやればいいのだと思った。さらなる壁があるということを見せてやろうと。 テレビやインターネットよりもさらに上のものを見せてやればいいと思ったんです。

だけど、それをやるとどうなるかというと、「一緒にいると不快な人間」が出来上がります。 知識は増えて、情報量はどんどん増えていくんです。小学生なのにいろんなことをよく知ってる。 そして、「先生これ知ってる? 知らないの? 」と自慢げに言ってくるようになるんです。 この子どもたちは一体何なんだろうと思いました。

「人権というものが守られなければ平等な自由主義は成立しないんですよ」と言っている一方で、 友達とくだらないことで喧嘩して殴りあいをしているみたいな。 何もできないのに、口ばっかの人間がやたら出てきたんです。

私の企ては失敗に終わりました。「知識の量で圧倒して大人の壁を見せつける」というのは大失敗でした。 それをすると、口ばかりのなにもできない根性なしの人間ができる。 彼らは「知識を持っているのが偉い」と思っていたんです。

教育学的には「知識」を手に入れたら大人と同じようになるはずだったんです。 でも、実際にやってみると「どうやらそれは違う」ということが分かった。 大人になるということは「知識」とは関係ないんじゃないかということが分かってきた。 知識を伝えて大人になるなら、彼らは大人になるはずです。だけど、全然そうならない。 学校は知識を伝える場だったけれど、それと一緒に「知識ではない何か」が伝えられていたんじゃないかと私は思っています。 では、その何かとは一体何なのでしょう。 ヨハネ研究の森で学ぶということは、「知識」を増やすためでしょうか? 震災について知識を増やすことが学びなのでしょうか?


「大きな物語」が文脈を生む

松並T 先日ヨハネ生は東京工業大学に行き「地文台シンポジウム」でいろいろな研究をしている人たちの話を聞きました。 最先端の研究についての話を聞いて、新エネルギーについての膨大な知識を得た。

そのなかで、僕は知識以上に重要だったことは「丸山先生たちが見ているものを見た」ということだったと思うんです。 「地文台」という視点。そんな風に世界をとらえようとするのかと驚かされること。 これがすごく重要なんじゃないでしょうか。

丸山先生たちは、地球史解読を通して、地球史上の事件と宇宙の動きが連動しているということが見えてきた。 そこから天の川銀河の超新星爆発と地球の全休凍結や生命の誕生、進化といったものがつながっているのではないか という仮説を持っていて、その時間と空間のスケールで今人類が直面している問題を検討している。 丸山先生は、世界がクリアカットに見える視点を持っていて、そこで「大きな物語」を描こうとしている。 それを一緒に見たということが個々の知識を得るということよりも意味があった。

バラバラの知識や情報がどこにどう位置づくのかという「大きな物語」を描くと、そこに「意味」が生じてくる。 「文脈」と言ってもいい。学校の勉強は「脱文脈」的で、自分と切り離されたものを扱っていて、凄く抽象的。 だから、多くの人にとっては面白くないものです。勉強は、記憶力と情報処理の能力を競うゲームでしかない。

例えば、数学だって、そもそも数学とは何で、どうやって生まれて、どんな流れのなかで因数分解や微積分が登場してきたのかという 「物語」があるんです。でも、学校の教科書はそれを全部省いて結論だけポンと出してくる。分かるわけないですよね。 それが一体何で、どうして重要なのか、全然分からない。


自分なりに文脈をつくってみる

今年、3月11日に東日本大震災があって、ヨハネ研究の森では地震とはなにか、津波とはなにか、エネルギーとは、 原子力とは・・・とたくさんのことを学んできました。ヨハネ生の知識は本当たくさん増えたと思います。

だけど、もしかしたら笠原先生が話したように「知識だけ増えた嫌な子ども」になっているかもしれない。 いろんなことを知っているから、セッションで話を聞いたり、映像を見ても「もう知ってるよ」と「分かったつもり」に なっているかもしれない。だけど、「ヨハネ生になる」ということは、知識を増やすことではなく、 メモを取って、振り返って、それがなんなのかということを自分なりにとらえ返すということをするということです。 自分なりに文脈をつくってみる。これはつまり、自分なりに「大きな物語」を描いてみるということです。


復興とはなにか

たとえば、今、濱口梧陵の映像を見ました。 江戸時代の安政南海大地震で故郷の村の人を救い、津波で壊滅的被害を受けた村の復興をした人の話でした。 濱口梧陵という人についての知識を得たわけです。でも、これが一体どう自分につながっているかを考えてますか? そこを考えないと知識が増えただけで終わってしまいます。

僕は、濱口梧陵という人から「復興」ということを考えました。 僕にとって「復興」とはなにか。3月11日の地震の翌日、僕は横瀬先生と一緒に車で宮城県に向かいました。 午後3時に木更津を出て、実家の塩釜に着いたのは翌日の午前4時過ぎ。 電気が止まっていて、真っ暗です。信号もついていない。 あと少しで家に着くと思ったらなんとも不思議な光景が広がっていました。道がないのです。 真っ暗ななか、ヘッドライトの光を頼りに運転していたのですが、 あるはずの道が突然なくなってしまって、100メートルぐらい道がない。

「一体どうしたことか」と車を降りて見てみると、道がなくなったのではなく、水没していたのです。 深く真っ暗な水たまりに光が反射していたのでした。

これ以上は無理だと思い、いったん横瀬先生の家に泊めてもらい、翌朝もう一度行ってみることにしました。 翌朝、もう一度実家に向かってみると水没した道路がはっきりと見えました。 道路はヘドロだらけで、脇には壊れた車が積み重なっています。 「一体何メートルの津波が来たのだろう。本当にこんなことあるの? 」というのが率直な感想でした。

道路はヘドロまみれ、車は壊れ、建物は崩れ、津波で運ばれた魚があちこちに落ちている。 水没した道路を迂回して、なんとか家にたどり着くと、とりあえずみんな無事でピンピンしていました。 でも、水も出ないし、電気も、ガスも使えない。

よく、歴史の教科書で「ナイル川が氾濫して肥沃な大地が」という話があるけれど、 津波でヘドロが道路を埋め尽くしていた。確かに肥沃だけれど、これは大変だよね。 舗装した道路が使用不能な状態。車で走れない。だけど、自分ではどうしようもない状態だった。 そうこうしているうちに、自衛隊の人たちが水を持ってきてくれたり、バキュームカーで道路のヘドロを片付け、 壊れた家や車を次々に片付けていってくれた。僕は、それを見ているだけだった。 自分たちではどうにもならないくらいの被害を受けたのに、どこかから来た誰かが全部片付けて行ってくれたという体験がある。

僕にとって、復旧、復興というものは自分でやったことではない。 「どこかの誰かがやってくれたこと」という感覚があるんです。ありがたいことだし、物凄く助かった。 けれど、「よく分からない」という感じがする。「復興」とは一体なんなのか。(後半に続く)