暁星国際小・中・高等学校 Gyosei International School
ヨハネ研究の森コース St. Johon's School
東日本大震災に学ぶ 〜当事者意識を持って考える〜
2011年4月22日(金)
今回の大地震は未曽有の大津波と大震災を引き起こしました。 被災地で過ごした横瀬先生が何を感じ、何を考えたのか。 私たちはこの大震災をどのようにとらえていけばよいのでしょうか。
一元化することの弊害
横瀬
こんにちは。今日、私は仙台から羽田まで飛行機できました。 まだ新幹線は動いていませんし、在来線もほとんどが線路グニャグニャに曲がって鉄道は全くだめ。
普段、仙台から羽田は飛行機が飛んでいません。なぜかというと新幹線があるから。 東京まで行くなら新幹線でという棲み分けがされているんです。
私は今回、つくづく思ったことの一つは、今の日本の社会というのは何か「これでいく」と決まると みんなそっちに流れて、今までやってたものを全部なくしてしまうでしょう。 多様性がなくて、一元化していく。これが今回の災害があったときの一番大きな問題になったことじゃないかって思うの。
仙台から羽田というときに新幹線と飛行機両方あった方がいいの。 ところが、それは価格競争したりして無駄だからって削ってしまう。 これは一見、効率的で合理的なようなんだけれど、本当にそうなのだろうかということ。
みんなスーパーやコンビニでいつも買い物をするでしょう。そうすると個人商店みたいなところは、 経営が苦しくなってしまう。でも、今回の地震で、一本の流通経路が絶たれたら、大手は みんな途端にだめになってしまった。
今回の地震の後、独自の仕入れルートを持っている個人商店みたいなところが営業して頑張っていて、 とても感謝されていた。私も物々交換したり、いろんな人にいろんなもの救援物資で送ってもらったりしたけれど、 そういうのは日頃の関係ができていなかったらできないんです。 お金がいくらあっても信頼関係がなかったら交換なんてできないんですよ。
視野を広げて考える
私は宮城県で被災生活をしているときに、あれこれ考えていたんですが、 今回の事態というのは私が勝手に描いていた想像と予想をはるかにこえていました。
そうすると、どうするかって話でしょう。今回被災にあったところは、どのみちまた家を建てたりすると思うの。 だけど、これだけのものを見せられて、またそこに家を建てるってならないんじゃないかね。 実際に見てみたら本当に価値観が変わってしまいますよ。「こんなことが本当に起こるのか?」 ということが起こってる。
今住居というと、安いかどうかとか、港区はなんとかだからと人が集中して、そこに家を持つことがいいって そういう理由ですむ場所を決めているけれど、こういうことを考え直さなきゃいけないかもしれない。 もっといろいろなことを違う観点から考え直す必要があるんじゃないかと。今は大丈夫だけど、 自分の子どもの代に何か起こるかもしれない。 そういう観点をもっとまじめにね。そのエリアの地質がどうなっているのかまで視野に入れて。
例えば、引越しをしようとしたら、そこの地盤がどうなってるのかとか、地崩れが起こりそうだとか、 そういうことは考えるよね。津波がくるかどうかとか。そのぐらいみんな思うんだけど、 最後は安い方がいいってなるでしょう。
だけど、今回のようなことがあるかもしれないわけです。想定外の事が起こりうる。 だから、今後はそういうことを自分で考えなければいけない。しっかりした不動産屋さんは言うかもしれないけど、 それもほどほどでしょうからね。
みなさんは、これからでしょう。 住む場所をどうするかということをそういう視野で検討した方がいいんじゃないかと思います。
福島原発から何を考えるか
原発についてもちょっと話をしておきましょう。地震、津波、こっちは、極端なことを言うと自然災害です。これはくい止められない。だから、事前にどの程度被害を押さえられるか。ここのところに目を向けないといけないでしょう。ところが、この地震がもとになっておきた津波で、福島原発はああいうことが起きてしまった。
それで、原子力は危険なもの、危ないもの、大変なものであるという意見があるでしょう。一方で、「いや、そんなもの大して危険じゃない。安全だ」と言う人がいる。本当のところ、原子力発電がなんなのかということを分かっていないと思うの。実体が分ってない。
我々の生活を支えるテクノロジーというものは、たいていのものは自然にもともとあったものを人間が発見して、 人工的に作り出して利用してきている。その中で暮らしている我々は、例えば、電気が何かということも知っておかなければいけないの。 こういうことをこういうときにきちんと調べてはっきりさせられるようにしておく。 「知性がある」というのはそういうことですよ。
電気がなくても生活はできるんです。それを支える環境があれば。だけど、今の都市には自然がない。原住民のような生活をしたくてもできません。電気がなかったら、生活が成り立たないようになっている。だから、電気とは何かということをはっきりさせておく必要がある。
今回の震災を通して、テクノロジーの問題はそれなしには人間はここまでこなかったし、止めようってったって、止まらないところまで来てしまっている。そういうところを含めて検討しないと、という気がしているわけですね。
我々はここにいるから「福島は関係ないじゃないか」と思うかもしれない。だけど、そうではない。
でも、現場にいたら具体的な問題をに追われているわけですよ。 だから、そういう意味で、「当事者意識」ということで問題にするとしたら、距離を置いているところにいる人ができることをするとしたら、今回あそこで起きていることがなんなのかということを正確に把握すること。距離をとっている人が冷静に状況を把握して、こっちを優先したらいいとか提言する。ある種の学者や評論家でそういう人が何人か出てきています。そういう人のコメントにふれたとき、私は嬉しかった。ほっとしたんですね。見通しがもてたから。
東北で起きたことは、実は自分の足下、日々の生活の中にいつもありうることで、もしそうだった場合、自分はどうすることができるかって考えることが当事者意識ですよ。本当のところ何が起こったのか。それを検討して、自分のところにそれが起こってもおかしくない、そういうところに光が当たったら、これは、被災地のことを我がこととして引き受けることだと私は思うんですね。