暁星国際小・中・高等学校 Gyosei International School
ヨハネ研究の森コース St. Johon's School
西田正規先生を訪ねて
2010年8月22日(日)
この8月、ヨハネ生五名が新潟県の妙高高原に赴き、『人類史のなかの定住革命』の著者・西田正規先生のもとを訪ねました。 夏の高原で交わされた、西田先生とヨハネ生との対話をレポートします。
西田先生と「定住革命」
いま、ヨハネ研究の森では、年間研究テーマとして「人類史」を取り上げています。 この人類史について考えるときに必要となる視点が、「遊動と定住」です。
かつて五百万年もの間、人類は狩猟と採集を行い、遊動(移動)しながら生活していました。 しかし一万年前を境に、人類は世界的に定住生活を営むようになったのです。
従来、この「遊動」から「定住」への変化は、人類が農耕を発明して定住できるようになったために発生したと説明されてきました。 しかし、その考えに疑問を投げかけたのが西田先生です。
定住せざるをえなかった人類
動物の生きるための行動原理は、「不快なものには近寄らない、危険であれば逃げていく」という単純なものです。 その基本戦略は霊長類の進化史を通じて人類にも受け継がれ、遊動生活という「逃げる社会」が長く続けられました。
遊動生活では、ゴミや不和、死や災いなどから「逃げる」ことができます。 しかし、定住により、人類は不快から「逃げない」社会を作らねばならなくなったのです。 この変化はなぜ生じたのでしょう。
人類は誕生以来、狩りの技術を発達させることで、地球上のあらゆる地域で生存できる生物となりました。 しかし数万年前に人類を襲ったのが、地球の温暖化です。
温かな気候は森林を増やし、大型動物の生息場所を奪いました。 狩りの獲物を失い、人類の遊動生活は、ここに破綻の時を迎えます。
人類が生き残るためには、魚や植物(ドングリなど)へと食料を変え、大量の保存によって冬季を乗り越えるしかありませんでした。 そのために道具が大型化すれば、移動は困難となります。こうして、人類に定住生活が発生したのです。
定住「革命」
この「定住」という出来事は、農耕の発生など、技術や社会組織に大きな変化を巻き起こします。 また人類は、自然や時間に対する考え方までも変化させました。
定住は、人類史の流れを変える革命的な出来事でした。 西田先生は、定住が人類に与えた影響の大きさから、一万年前に世界中で同時発生したこの現象を「定住革命」と名付けたのです。
西田先生との対話
今回、ヨハネ生は新潟県の妙高高原にお住まいの西田先生を訪ね、人類史についてのお話をうかがえることになりました。
現地を訪れたヨハネ生たちは、三日間、西田先生と共に生活し、その中で多くの対話が交わされました。 このレポートでは、西田先生による数多くのお話のうちから、特にヨハネの研究テーマに関係する内容を厳選して掲載したいと思います。
人類史とはなにか
西田先生
人類という生き物の、始まりから絶滅までを考え、見るのが人類史です。 その全体を見渡したときに、「人類の本質」というものが分かるのではないでしょうか。
「歴史」というものがありますが、あれは(国や個人による)自己中心的なものです。 人類史では、特定の人物、つまり個体に注目したりはしません。 あくまで、人類という種全体を見渡したとき、どのような動きをしているのか、ということを考えていきます。
人類の本質とはなにか
西田先生
よく人類の本質が「二足歩行」であると言われます。 しかし、そんな一見して分かるような表面的なものが、類人猿唯一の広範囲にわたる分布に成功した人類の本質と言えるのでしょうか。
それに、やはり人類の本質であると言われる「言語」についても疑問を持っています。 以前、熱帯雨林の奥地に住む民族と接する機会がありました。 そのとき、言葉は全く通じなくても、「彼らは自分と同じ人間だ」と直観的に感じていましたよ。 そして彼らと「楽しい」という感覚を共有することもできました。
人類には、肌の色や文化を超えて「自分たちは同じ人間だ」と感じるような共通性というものがあるのだと思います。 私たちが人類の本質を考えるときに大切なのは、この共通性を探すことです。
こうした共通性というものは、表面的に見えるものではありません。 だから、見つけるのがたいへん難しいのです。
人類と類人猿
西田先生
人類には政治性というものがありますが、これは類人猿であるチンパンジーにも見られるものです。 たとえば、群れの中に最も強いボスがいて、二位のチンパンジーはボスの地位を狙える位置にいます。 すると、両者のバランスを崩せる三位のチンパンジーは、一位と二位の両方からチヤホヤされたりします。 結果として、三位が最も好き勝手に振る舞っている、ということもありました。これは人類でも似たようなものでしょう。
政治性とは異なる要素として、家族というものがあります。 兄が弟と相撲をとるとき、私たちは安心してそれを見ていられますよね。 私たちは、強い者が弱い者をいたわることが分かっているのです。 私は、この家族が、人類の本質において重要だという気がします。
また、この性質は類人猿にも見られるものです。 二足歩行のずっと前から、人類はその本質を獲得していたのではないでしょうか。
ところで、類人猿は賢いと言われますね。 ですが、彼らはどんどん分布を狭めて、絶滅してしまいそうな状態にあります。 一方、類人猿でないオナガザルは分布を広げています。すると、類人猿の「賢さ」とは、どこに使われているのでしょう。
実は、彼らの賢さは、グループ内での政治に使われているのです。 それは賢いと言えるのでしょうか。そもそも、賢いとは何なのでしょう。 ぜひ考えてみてください。
なぜ農耕は賛美されるのか
西田先生
狩りをして暮らす民族の人々は、誇り高く生きています。 狩りが上手な者は賛美され、下手な者は軽蔑されて、子どもは狩りがうまくなりたいと憧れを持つのです。 リーダーなどは玉で着飾っていて、私が車で訪れたときは、ドアのミラーで自分の身だしなみをチェックしていましたよ。
人類史では、その誇り高い人々が、農耕しかできない状態になりました。 彼らは、それまで鳥のエサだったもので命をつながねばならなくなったのです。 どれほど情けない思いをしたことでしょうか。
それに、私も畑作業で実感するのですが、農耕では収穫までに雑草を取り続けたりしなくてはなりません。 これは重労働です。収穫後の穀物も、食べられる状態にするまでの準備に何日もかかります。 狩りであれば、獲物を捕まえてから一時間で食べられます。
これほど問題点のある農耕が賛美されて、遊動生活が否定されているのはなぜでしょう。 それは、私たちが、自分たちの営む生活方法が最もよいものだと無意識のうちに考えてしまうからです。
また、農家を讃えなければ、農耕をする人がいなくなって私たちは食べていけなくなります。 かつては農家を賛美する歌があったくらいですからね。
動物のなかの文化
西田先生
私がアフリカにいた時、崖にヒヒが住み着いている場所がありました。 その崖の上には農場があって、番をしていたのは子どもです。
ある時、大勢のヒヒが農場を荒らしに上がってきました。 すると、番の子どもが棒を持って、たった一人でヒヒの群れに向かっていったのです。
私は、危ない、と思いました。ヒヒの方が体が大きいし、数も多いのですから、殺されてしまうかもしれません。
しかし、棒を持って走ってくる子どもを見たヒヒの群れは、一斉にそこから逃げ出したのです。
おそらく、「棒を持った人間が来たら逃げる」という了解が、ヒヒの間で徹底されていたのでしょう。 これは、おそらく何世代も前から、言語がなくても、親から子へと伝えられているものです。
もし動物がこうした伝達をしなければ、別の生き物と顔を合わせるたびに力比べをして、その動物は死に絶えるかもしれません。
私たちは、文化を持つのは人類だけ、などと考えてしまいがちですが、そんなことはないのです。 烏だって、走ってくる車に木の実を落として殻を割ったりするでしょう。 これは、習慣や情報が文化として伝えられているからですよ。
全体を見る視野
西田先生
定住という現象は、約一万年前に世界規模で起きたものです。 この現象について考えようとするとき、九州の事例などを一つ一つ考えていると、あまりに事例の数が多くなりすぎてしまいます。
このような世界規模の現象に対しては、世界全体を広く見る視野が必要です。 私たちは物事を考えるとき、その規模に応じた視野で対応していかなくてはなりません。
また学問について、私は先達である今西錦司から、楽しく学問をしていくスタイルを学ぶことができました。 今西先生の学問は横断的で、とにかく実際にやれ、現地に行けと言っていました。 研究では、私たちが実際に現場で何を感じて、どう考えるか、ということも大切なのです。
私も色々な学問分野をまたぐようなことを言いますから、嫌がる学者も多いでしょうね。 私は学生時代、当時の教授が仕事をしないかというので内容を確かめもせず二つ返事で引き受けたところ、勤め先は人体解剖を行う医局でした。 それからも分野にこだわりなく色々な勤めをして、やがて人文科学の職についたのですが、こうしたことも私の学問の形に影響しているかもしれません。
訪問を終えて
西田先生は、はるかな高みから人類と地球を眺めるような広い視野と、多彩な経験をあわせ持った先生です。 その上で、ご自身の体感や実感を大切にして、人類についての考えを深めておられます。
ヨハネに戻ってから、研究員たちは先生との対話を振り返り、得られた見識をまとめていきました。 その中で研究員たちが気づいたのが、先生のお話は「人類史」と「ものの考え方」に分けて考えることができるのではないか、ということでした。 単なる知識だけでなく、学びに対する姿勢まで、ヨハネ生は教えて頂いたように思います。
西田先生との対話の内容はセッションで報告され、ヨハネ全体で共有されました。 これからヨハネで続いていく人類史の学びに、西田先生から頂いた知見は大きく役立っていくことでしょう。