人類史における移動と定住 〜自分の経験と実感から描く〜
2010年2月5日(金)


 2010年3月6日(土)・7日(日)に開催される研究発表会を約一ヵ月後に控えた2月5日(金)、人類史を「移動と定住」という観点からどのように扱っていけばよいのか、横瀬先生の三時間におよぶレクチャーありました。
ポイントは、自分の移動や定住の経験から何を感じ、考えるのか。
 今回の研究発表会では、「人類史」を移動と定住の観点から扱おうとしています。日本史でも、世界史でもなく、その両方でもある私たち人類の歴史。
 人類の祖先はアフリカで誕生し、世界中に広がっていったと言われています。アフリカから世界中に広がって行く中で、人類は何百万年もの間、移動と定住を繰り返してきました。NHKスペシャル『日本人はるかな旅』を見て、国立歴史民族博物館、国立科学博物館に行き、私たち日本人の祖先がどこからやってきたのか、縄文人はどんな暮らしをしていたのかといったこともイメージができてきました。人類の移動や定住について考えるのに、海部陽介さんの『人類がたどってきた道』や西田正規さんの『人類史のなかの定住革命』を読んで検討しているヨハネ生もいます。
 しかし、ヨハネ研究の森が目指す研究は、単に本に書いてあることや誰かの言っていることをまとめるというものではありません。自分たちが日々、見たり聞いたり感じたりしていることから考え、人類史を描いていくのです。


『人類史のなかの定住革命』を読む          横瀬和治      .


なぜアフリカで誕生した人類は世界中へと移動して行ったのでしょう。そもそも、移動と定住とは一体何なのでしょうか。西田正規さんの『人類史のなかの定住革命』をどう読むか。


 「現代の移動」と「縄文時代の移動」

 私は今、宮城県の利府町に住んでいます。利府の青山という場所はちょっとした高級住宅街で、東京から転勤してきた家族が結構多く住んでいます。東京から家族で利府に引っ越してきてしばらくすると、また東京に戻って来いと辞令が出たりする。子どもを転校させるのも大変だということで、今度はお父さんだけ単身赴任で東京に戻っていくのです。
 そういうお父さんたちは、月曜日から金曜日まで東京で仕事をして、金曜日に新幹線に乗って利府に帰ってくる。そして土日を家族と過ごして、また月曜日に東京に行く。これも移動ですね。
 この移動は縄文時代の人たちの移動とは同じでしょうか。違うとしたらどう違うのでしょう。
 新幹線に乗って移動する移動と歴史の教科書に出てくるようなゲルマン民族大移動のようなものはどう違うのか。吟味してみる必要がありますね。それから、動機は本当のところ一体何だったのかと。
 現在の私たちの移動についての考え方を前提にして、昔の人の移動を見ようとしても本当はよく分からないのです。歴史の本などでは、部族と部族の権力闘争が原因で、離散したり、移動したりしていると描かれているけれど、東京工業大学の丸山先生は、その移動に地球の環境の変化が背景にあるのではないかって言っている。
 一つの移動というものを環境の変化から見ようとしたら、その当時の気候がどうだったのか。もっときちんと調べてみる必要がある。


『人類史のなかの定住革命』

 それで、この本は、非常によい本です。みんなこの休みに手に入れて読んで下さい。 西田正規先生が「移動と定住」についてどう考えるのかという自分の仮説をはっきりさせて、それにもとづいて人類史を紐解いていく。この論文は、およそ26年前に書かれているのですが、非常に優れていると思います。

 <前書き>で、「不快なものには近寄らない。危険であれば逃げて行く。この単純きわまる行動原理こそ、高い移動能力を発達させてきた動物の生きる基本戦略である」とこの本の基本テーマをズバリ言っていますが面白いでしょう。
 私は本を読むとき「この人はどういう考え方に基づいているのか」をつかみとって、それを自分が直感的に思っていることとつき合わせるということをしています。
 みなトイレに好き好んで近づいて行かないし、危険だったら逃げるでしょう。「危険だから」って近寄っていく人はあまりいない。たまにいるけれど、そういう場合はどういう場合なのか。
 みなさんはどうでしょう。思いあたることがありますか。「不快なものには近寄らない。危険であれば逃げて行く。この単純きわまる行動原理こそ、高い移動能力を発達させてきた動物の生きる基本戦略である」と読んだら、自分だったらこうだ、家の猫はどうかとか、そういうことを読みながら考える。
 次のパラグラフ。「侵入してくる他の動物を追い払って縄張りを主張することも、また多くの動物社会に見られることである」。そうだよね。生き物が縄張りを作るというのは、ほとんど例外なくそういう性質があるでしょう。
 誰だって、一緒にいたいと思う人もいれば、苦手だなと思って距離を取って逃げたいと思う人もいる。入ってくるなと追い払ったり。人間も縄張りを主張するということをしているのですね。


定住革命はなぜ起きたのか

 「サルや類人猿たちは、あまり大きくない集団を作り、一定の遊動域の中を移動して暮らしている。集団を大きくせず遊動域を防衛することで、個体密度があまりに増加するのをおさえ、そして頻繁に移動することによって環境の過度な荒廃を防ぎ、食べ物にありつき、危険から逃れるのである」
 同じところに一定期間住んでいるとだんだん荒れてくる。住みづらくなってくる。不快になるでしょう。そうしたら、次の場所に行く。また次の場所とこのあたりをうろうろ移動して生活しているうちに、自然が回復してまた住めるようになっていったんでしょう。
 そして、「ある時から人類の社会は、逃げる社会から逃げない社会へと、生き方の基本戦略を大きく変えたのである。この変化を『定住革命』と呼んでおこう」。これは、凄いことを言ってるね。革命ですよ。人類は定住社会へ向けて人類の社会的、肉体的、心理的行動様式のすべてを再編成したということ。私の親がコンピューターをカチャカチャやるというぐらいの大きな変化。その変化なしには定住社会にはならなかった。
 この人類の行動様式の再編成を「定住革命」と言っているのです。そこまで言い切った人はこの人しかいません。凄く面白いでしょう。
 今、私たちが定住しているのは当たり前のように思っています。けれど、人類の歴史のなかで定住するようになったのは、本当につい最近のことでしょう。まばたきの間みたいなものです。
 「定住革命」というのは、人類は何百万年も遊動生活をしてきたのに、それがあるときできなくなってしまった。その結果として定住を余儀なくされたのではないかという仮説です。
 なぜ遊動生活ができなくなってしまったのか。この休暇中にこの本を読んで、じっくり考えてみて下さい。