『イチローの流儀』 に学ぶ
2009年5月15日


イチローの流儀」に学ぶ型の大切さ

5月15日、『プロフェッショナル仕事の流儀』のイチロースペシャルを観ました。トップアスリートのイチローは 試合前の準備、練習メニュー、試合中の身体の動かし方に至るまで、一定の型があるといいます。決められた型を身につけることの意味とはなんなのか。


同じことを徹底して繰り返す

横瀬 今日、『プロフェッショナル仕事の流儀 イチロースペシャル』を見ました。その中で、イチローの流儀が紹介されていました。家では、お昼ごはんは必ずカレーライス。七年間毎日同じカレーを食べている。球場に向かう間に、鈴木一朗からベースボールプレーヤーのイチローに切り替わる。試合中、ベンチではいつも一定の位置に座って、バッターボックスへ出る手順も決まっていると他の選手も流儀を多かれ少なかれもっているけど、イチローは徹底している。
 毎日同じことを繰り返している、一定のリズムが大体出来上がっていきます。人間の体には、細胞レベルで体内時計がセットされています。陽が昇る頃になると活動し始め、陽が沈むと休むというように、細胞レベルでリズムを刻んでいるのです。きちんと事を成す人は、繰り返しやると決めていることは、必ずきっちりやっています。ダメな人は、すぐ崩してしまう、習慣になるところまで行かずに、やったりやらなかったりする。
 ヨハネ研究の森では毎週合気道を行っています。これもパターンが決まっていますね。全員道着を着て、畳を敷くことからはじめて、準備運動を行い、先生がいらっしゃって挨拶をする。そして基本の技の型を確認する。その後、応用の技を確認していく。このパターンはいつも同じ。
 合気道の動きの意味がわからないとか、違う方法があってもいいのではないかと思う人もいるかもしれません。しかし、人間は文化を生み出し、様々な活動を行っていますが、長い間受け継がれている武道や武術、能などの伝統芸能や芸術は、何でもしっかり型ができていて、これは良い、悪いの問題ではないのです。


型を真似て学ぶ

 型は、初めてやる人にとっては、なぜそうするのかが分かりません。何を説明されるわけでもない。それでも、ひたすら先輩を真似して、学んでいくのです。
 お師匠さんの芸を見る。ある動作をお師匠さんが弟子に見せる。弟子は同じようにまねてやってみるという風に手順があります。
 さて、普通の学校と、ヨハネ研究の森の違いとは何でしょうか? ヨハネ研究の森では、掃除を一時間ほどかけて毎日徹底してやる。学習もただ待っていれば誰かが何かをしてくれるというわけでもない。何をどうしたらいいのか、半年や一年の間、自分は一体何をやったらいいのか分からなくて、きちんとやっている人たちが信じられなかったという人もいました。
 本を読んだり、話を聞くときには、メモを取り、それをまとめて要約する。他の学校ではやらないようなことをヨハネ生は繰り返し繰り返しやっています。だから、新入生はその違いに戸惑ったのではないでしょうか?
 実は、話し方、聞き方、本の読み方というのは一つの型なのです。みなさんは知らないうちに、それなりの方法をどこかの流儀にそって身につけてきたのです。はしの持ち方も、勉強の仕方も、本の読み方、ものの考え方、伝え方も、自分流に独自にやっているように見えるけれど、絶対にそんなことはなく、いつかどこかで見た誰かのやりかたや何かの流儀に従っているのです。
 学校では正確に読む事を重視して、一行一行音読したり、分からない意味の単語が出てきたときに、すぐ調べてから読みます。この方法は学校に通ってから身につくのです。
 しかし、辞書を引いて単語の意味がわかっても、実際に何を言っているのかがわからない、ということがたくさんある。また、調べながら読んでいては遅くて途中で終わってしまいます。
 そこで、要約しながら読む。キーワードを拾っておいてそれ以外は自分の言葉で言い換えて読むということをしていくと、本の読み方が変わります。いくつかの語の意味がわからなくても、文脈を読むようになって、全体として何を言いたいのかを見当をつけて読めるようになるのです。
 毎回課題のプリントで、たくさんの参考図書がリストになっているのを見て、こんなに読めるわけないじゃないと思う保護者の方もいらっしゃるようですが、みんな結構読めてしまう。ヨハネ生になって、本の読み方が変わってくると、たくさんの本が読めるようになるのです。
 今まで本を読む事を思い起こしてみて、慣れているからといって今までの方法で物を読むのでは、ヨハネに来た意味はなくなってしまいます。どうすればいいかわらないなら、どうやって読んでいるか周りの人を観察するのです。ここが普通の学校とは違うところですね。なかなか先輩の本の読み方を見て真似ることができる学校は他にないでしょう。
 毎日その日自分が学んだことを「今日の学習」に自分のことばでまとめること、それがヨハネの流儀。何故こんな事をやらなければいけないのか? と思うのではなく、まず形から入るのがよいでしょう。
 武道でも何でも、最初は形から入るというのはそういう意味です。まずはやってみなければはじまらない。善い悪い、好きの嫌いは後の話。まずはそこで行われていることをじっと見る、そして真似る。するとできるようになってくる。
 ヨハネでは耳にたこができるくらい、メモを取って、まとめて書けと言われますが、その結果、ちゃんとメモも取れるし、要約もできるようになる。
 また、私も昔は人前では話せませんでした。前もって文章に書いてまとめてからなら、話すことができました。原稿を読むということもやっていました。しかし、人とやり取りしながらものを言えるようになっていくと、ペンを持ってまとめるとその間に思考が止まってしまうように思えるのです。
 さらに、私の場合、同じ内容でも、英語で読んだ方が日本語で読むよりもよく分かることがあります。それは、わけの分からない英語をどうやって理解するかについてトレーニングを積んだからです。未知のものは、逆に英語を通したほうが分かることがあるのです。
 物を理解したり身につけてなにかやっていくことには必ず流儀があり、形を持っていきます。では、形と型とは何が違うのか? 表面上のパフォーマンス、アクションを同じように真似したものが「形」と言える。この段階ではまだ非常にギクシャクしている。ヨハネにおける掃除やいろんなこと、生活においてもそうです。自分なりの「型」というところまで持っていけるか、そのことに関心を持って下さい。
 「型」の中で自分を作り出して行くのです。そうすれば、どこへ行ってもその場その場で求められる「型」を踏まえた上で自分を作り出していく、自己形成していくことができるようになるのです。そういうことができるのが、本当のヨハネ生でしょう。