暁星国際小・中・高等学校 Gyosei International School
ヨハネ研究の森コース St. Johon's School
2012年10月21日(日)
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できる人が、できることを、できるだけやる
写真一覧
10月19日(金)から21日(日)にかけて、ヨハネ研究の森から16名がチーム4030(シオザワ)・3Dプロジェクトに参加しました。
今回の行先は南三陸町と登米市。
私たちヨハネ研究の森の選抜チームは新しくなった東京駅を経由して、19日夜にはチーム4030の本部ビルに到着。出発までの間、夕食と事前研修を行いました。
22時30分、バスに乗り込み、いよいよ南三陸町に向けて出発しました。
今回のチーム4030はヨハネ16名を含む総勢40名、バスは朝5時には石巻にある道の駅・上品の里に着き、そこで朝食を済ませ、時間調整をし、目的地である南三陸へ。
20日8時少し前、あの遠藤みきさんが最後まで防災無線で非難を叫び続けた防災対策庁舎に到着。そこで花を手向け全員で黙祷を捧げました。
今回のボランティア活動の目的は、これまでのがれき処理などと違い、現地の被災した方々との交流が主な目的でした。
被災した民宿「やすらぎ」の女将さんの被災体験をお聞きした後、数グループに分かれ、作業へ突入。
ヨハネ生は看板制作グループと草むしりグループに分かれ1時間半ほど作業したあと、海を眺める丘にクリスマスローズを植栽。来年春には花を咲かせるとのこと。
10月中旬とは思えないほどのポカポカ天気に恵まれ、海を眺めながらのお弁当。焼き魚(しゃけ)の美味しさに皆感動。
仮説住宅地に作られた「さんさん商店街」に向かう途中、震災前その場所で料亭を営んでいた家のお嬢さんが語り部となり体験談を話してくれました。
自分も津波に追いかけられ命からがら逃げたことや父親が津波に飲み込まれ紙一重で助かったことなど何の飾りもない淡々とした話に逆に震災の怖さを感じました。
商店街では、地域に少しでも貢献しようとショッピングや食べ歩きをしながら、エンジョイしました。
夕方には登米市内のシンポジウム会場に到着。「UEカフェミーティング in 登米市」 第一部のシンポジウム開始。
現地で被災された方々と、ボランティア活動に来た人たちの総勢200名ほどの参加者の中、ヨハネ生16名が、お揃いのジャージで、メモを真剣にとってる姿はひときわ目立ちました。
第二部の交流会では、大きな会場にステージとその周りに10人掛けの丸テーブルが17、8。そんな中、ヨハネ生は2名ずつ各テーブルに振り分けられて、各テーブルの議論に参加しました。参加メンバーの中では圧倒的に最年少。登米市長や被災したベテラン漁師もいる中で、テーブルごとにテーマを決めて意見のシェアリング。40分〜50分で意見をまとめて発表するというスタイル。
時間の関係上、4テーブルだけの発表にとどまったのですが、そこでヨハネパワー炸裂!
プレゼンをした4テーブル中3テーブルがヨハネ生が代表して発表するという事態になり、あらためてヨハネ研究の森のパワーを感じることになりました。
昨年来、「文明と天災」という枠組みで検討を進めてきたヨハネ生が、復興にかける思いを言葉にしました。
場内は驚きの声と共に大喝采。引率した高橋先生、小林先生と、チーム4030主宰者の塩澤氏ご夫妻は完全にドヤ顔でした。
翌日21日の朝、新しい語り部の方とバスに乗り込み石巻市内へ。
生徒の7割が亡くなってしまった大川小学校で鎮魂のため黙祷。しばし言葉が出ませんでした。
まだまだ津波の傷跡が痛々しい街中を語り部の話を聞きながら巡りました。
今回のボランティアは前2回とはかなり違ったものとなりました。
肉体労働的なものは少なかったのですが、いろいろと考えさせられる出会いや交流が中心でした。
1年半たってやっと被災者が自分の体験を話し始めることができ、本当に必要なものは何かが大分ハッキリしてきた印象を受けました。
人手、マンパワーは相変わらず必要なことに変わりはありませんが、心のケア、被災者との交流など力をいれるべきものも見えた気がしました。
参加したヨハネ生の動きの良さや気遣いの細やかさにも驚きました。
カフェミーティングではたくさんの大人たちの中で、物おじすることなく言葉にするヨハネ生の姿を見ることができたことも大きな収穫でした。
継続することに価値があるということで、また、次回、このような機会を与えていただくことを期待しつつ、報告を終わらせていただきます。
防災対策庁舎
看板制作するヨハネ生
被災した語り部の話を聞く
草むしり作業のヨハネ生
UEカフェミーティング in 登米市
プレゼンするヨハネ生