音楽と共に生きている人たち
2012年9月23日(日)
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We met SAPATOS and now we love them.

音楽祭二日目、なんとボサノヴァ演奏者の第一人者、ギタリストの木村純さんとサックス奏者の三四朗さんのユニットSAPATOSがヨハネ研究の森の音楽祭に来ていただきました。
「音楽との出会い」、「ボサノヴァとは何か」、「SAPATOSの音楽とは何か」といったお話と生演奏をしていただきました。
「音楽は感動してなんぼ。勉強するものではなく、感動する」と言うプロフェッショナルの生演奏に至近距離で触れる。「本物の音楽」と出会う。



木村純さんとボサノヴァ

木村 お招き頂きましてありがとうございました。今日は、講義を交えながらいろいろ演奏したいと思います。二時間ほどお付き合いください。

その前に、まず、びっくりしたのは皆さんの素朴なまなざしと凛とした感じ。子どもから大人まで一つの空気になって集えることの素晴らしさを感じています。共同で一つの物をつくっていく、同じ空気を共有できる。こんな体験を今のうちからできるというのは素晴らしいことだと思います。

さて、僕がなぜボサノヴァのギタリストになったのか。きっかけですね。ボサノヴァは、ブラジルで生まれた音楽です。ちょうど地球の反対側の国です。

僕は中学二年生のとき、1964年、東京オリンピックがあったころ。たまたまラジオでFENを聞いていたときに、ジョアン・ジルベルトの「イパネマの娘」が流れてきて、全身に鳥肌が立ったんです。「これは自分が一生やっていける音楽かもしれない」と一瞬で虜になってしまったんです。

当時、ボサノヴァなんてやっている人は誰もいませんでしたから、全部独学で学びました。レコードが先生です。中学、高校、大学とボサノヴァ一筋にやってたんです。大学は何学部かと聞かれたら「軽音楽部」と答えるくらい、入れ込んでいました。

しかし、大学を卒業して、音楽の道に進んだのかというとそうではありませんでした。僕には趣味が三つありました。犬と車と音楽。自分のやりたいものをやろうと思ったときに、犬を育てることを仕事にはあまりしたくなかった。音楽も、それで生活できている人はほとんどいなかった。僕は犬も飼いたいし、車も乗りたい、ミュージシャンになったらそういう生活はできないだろうなと思ったんです。だから、車を選んだんです。

そうして、サラリーマンをやってきたんですが、1997年に会社を辞めました。僕は、50歳近かった。次のステップを考えたときに、どこかの会社に再就職とはならないので、自分のできることで生きていくしかない、それで考えてもいなかったプロのギタリストに手を染めたんです。

だから、若くしてみんな成功したいって言うけれど、人生は長いですから、チャンスはあるんです。若くして上り詰めてしまうと、その後が大変。そこからさらにスキルアップしていかなければならない。ゆっくり歩んで、人生の最後を華で飾るのだって素敵じゃないですか。

僕が思うことは二つあります。一つは、自分で何かをやり始めたら続けてください。続けるといいことがあります。ゼロから始めるのは大変なんです。何でもいいです、これが自分なんだよねとアイデンティティを感じられるものを持つ。好きなことをやり続ける。

もう一つは、他の人のせいにしないということ。全部自分で責任を持つ。上司も、会社もあてにはしない。頼らない。自分に対して自分が責任を持つ。今はあまり分からないかもしれないけれど、いずれ分かるときがくると思います。それが必ず力になります。

音楽は感動してなんぼ

三四朗 音楽についても少し話をして欲しいとリクエストいただいたのでお話しします。僕はバークリー音楽院というボストンの大学にいました。高校を卒業して、すぐにバークリー音楽院に行きました。音楽で身を立てたいと思っていたのですが、日本だとクラシックの音楽学校しかなかったので、海外の大学で探したらポピュラーでも、ジャズでも、ロックでもどんな音楽でも受け入れるという学校があったので、そこに行きました。

バークリー音楽院は、非常に合理的な音楽の教え方をするんです。日本だと難しい言葉で教えられるんですが、英語だと非常にわかりやすい。音楽を数学のような感覚で、方程式、公式にして勉強するんです。

けれど、そうして四年間勉強したら、頭でっかちになってしまいました。ミュージシャンになるためにいっぱい勉強したけれど、これではダメだと。頭を丸めてゼロから出発したんです。

ニューヨークに行ってストリートミュージシャンを始めた。一、二曲しかできなかったけど、ビリー・ジョエルの「素顔のままで」とか、「テイクファイブ」を演奏したら人が集まって投げ銭をくれるようになった。

そうやって、ストリートで音楽をやっていて、これだなって思ったのは、サラリーマンは素通りするけれど、社会の底辺の生活に苦しんでる人がお金を投げてくれるんです。仲間を助けてくれてるのかもしれないけれど、明らかに僕よりもお金がなさそうなホームレスの親子とかが演奏を一生懸命聴いて小銭をわけてくれる。音楽の本当の姿はこういうところにあるのではないかと思いました。

そういう経験をして、僕はいろんなことを勉強したんだけれど、そういう知識はひとまず置いておいて、メロディーをひたすら追いかけるようになっていった。 音楽は知識ではなくて、感動してなんぼ。勉強ではなく感動と思ってやってもらいたいと思います。





ふるさと with サパトス