保護者が語る「私と息子とヨハネ研究の森」
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 ヨハネ研究の森の保護者会は、保護者と先生だけでなく、ヨハネ研究の森の研究員たちも一緒に参加して行われます。
 この日の保護者会は、午前中の生徒たちのセッションの様子を参観した後、保護者の皆さんとヨハネ生と一緒にヨハネ研究の森の特色について考える機会を持ちました。
 ヨハネ研究の森コースは通常の学校とは考え方が大きく異なるため、当然ながら入学前や入学後に不安を抱く保護者の方もいらっしゃいます。
 今回の保護者会では、実際にヨハネ研究の森に子どもを預けている3人の保護者の方にこれまでの体験から、ご自身の率直な想いを語っていただきました。



■ 高3 坂井田くんのお母様 ■ 高2 下田くんのお母様 ■ 中3 岩間くんのお母様




高校3年 坂井田翔平くんのお母様


ヨハネに預ける勇気

息子は小学5年生のときに入学をしました。高校3年生になった今、思えばいろんなことがありましたが、あっという間の8年間でもありました。当時は本当に全然しゃべれない子でした。「うん」、「そう」の二言だけで1時間の入試面接を乗り切り、そのとき面接をしていただいた横瀬先生には「『うん』しか言わない子だね」と笑われていた翔平が今日、(セッション中に)人前でこんなにしゃべっているのを初めて見ました。

ヨハネ研究の森の素晴らしい教育理念に惚れ込んで、出会って2週間で入学させようと決めました。 けれど、私は自分が生きてきた世界の常識からなかなか抜けられなくて、初めのうちは「ヨハネの学び」は「普通の学校の+α」というように思っていました。 そのために、ヨハネに入学してから勉強がどんどん遅れていくように見えて、もうクエスチョンだらけ!

「小学生が自学なんてありえないでしょ」と先生方に食ってかかったり、帰ってきたら塾に通わせたりもしていました。 同級生と比べて勉強の進み具合の違う翔平は、塾に行くと嫌な思いをする。 塾の先生には「その学校本当に大丈夫?」って言われて、正直、大失敗してしまったと私は後悔し、今からでも地元の公立中学に移そうかと考えたこともありました。

だけどそのとき翔平が、「ヨハネの学びが正しいかどうかは自分にはわからないけれど、僕は横瀬先生の話を聞いていると正しい気がするんだ。ヨハネを卒業したい。」と言ったんです。 生まれて初めて自分の意思を自分の言葉で言ってくれたんです。私はそれで、覚悟を決めることができました。

私にとってはヨハネは真っ暗なトンネルです。私にはわからない。 保護者会で掃除の話を2時間もされて、勉強は大丈夫なのかと不安にもなりました。 だけど、翔平が選んだんだからと一緒に信じることにしたんです。 そしてどうせだったら、「本物のヨハネ生」にしよう。もし失敗だったら、18歳からやり直せばいいとこのとき決意しました。


悩む子ほどよく育つ

翔平は、なぜか中学1年生で寮の部屋長に選出されました。「あー」とか「うー」しか言えない子だから、役割が果たせるわけがない。 3年間もいるので、寮生活がどういうもので、何をしないといけないかはよく知っているけれど、 同級生や後輩にうまく教えることができない。1年間、情けない自分との苦悩の日々。

おやつが欲しいときしか電話してこなかった子が頻繁に電話をかけてくるようになりました。 「朝昼晩いつでも電話していいよ。あなたが帰るところはある。絶対に守ってあげる。 だから、安心して苦労してください。」って本人には言っていました。でも、かわいそうでかわいそうで仕方がありませんでした。

だけど、翔平には絶対守ってくれる先輩がいる。 そして、この子の鈍感力なら心を病むほど悩むことはないだろうと思い送り出していました。

そして、1年が過ぎ、翔平が「学びの自分史」(注)を読ませてくれました。 そこには部屋長としての苦悩が書かれていました。 だけど、それと同時に冷静な目で後輩がヨハネ生に成長するステップを見つめてもいた。 自分がリーダーとしてやらなければならないことをやってみせる、教える、励ます、でも、変わらない。(「学びの自分史」:毎年ヨハネ生が1年の締めっくくりに自分の変化の軌跡を文字で書き表すもの)

あるとき、彼はすごい発見をしました。
後輩に変化が見える。その変化を見ながら、そこから彼が学んだことは、 「教えられたことを自分でやって、自分で気が付いて、自分で自分のものにしていく」ということがなければ学ぶことはできない。 その時間を見守って待つこと、それが重要なことだということ。

翔平は中学1年生で40数歳の私ができないことを学び取ってしまったんです。 私は別の意味で「とんでもない学校に入れてしまった」とこのとき思いました。 「このままでは私は翔平に置いて行かれてしまう。ヨハネの学びをちゃんと理解して、翔平が卒業する時にさすが翔平君のお母さんと言われるようになろう」と決意しました。


信じてこられた理由

私の知っている翔平のヨハネの先輩たちのお母さん方は皆どっしりしているように見えました。 お子さんが優秀だからどっしりしていられるのか、お母さんがどっしりしているからお子さんが優秀になるのか、 どっちなんだろうと思ったこともありますが、引っ張ってくれる先輩、慕ってくれる後輩、見放さない先生がいて 皆さん今まで頑張ってくることができたんだと思います。

翔平が本当にヨハネ生として成長したと感じたのは、去年か今年になってからです。 7年間は本当に不安でした。長いですよね。 だけれど、普通の学校に入れていたら、流れの速さで埋もれてこんなふうには育っていなかっただろうなと思います。

私が何度も「ヨハネでよかったのだろうか」と迷って不安だったとき、 「これでいいんだ」と励ましてくれたのはヨハネ生のみなさんでした。 8年間ずっと、このことは「いつか言いたい」って思っていたんです。

みなさんの合唱(注)を聴いていて、必ず泣いちゃうんです。歌が上手だからかな?と思っていたんですけど、ある日、見えたんです。 歌の背後にヨハネの生活が。そういうものが言霊になって、心にダイレクトに飛び込んでくる。 だから、感動させてもらえるんだなって。
(「合唱」:ヨハネ生全員で聖歌隊を編成していて、保護者会や卒業式、入学式などの学園のイベントで歌います)

思春期の男の子がコンクールでもないのにあんなに一生懸命歌う姿は、 たぶん、世界中どこを探してもないんじゃないでしょうか。 おもてなしの心、そういうみなさんの姿に勇気づけられて今日まで「ヨハネの母」をやってこれました。 だから、この素晴らしい環境を絶やさずに続けていってもらいたいと思っています。 もし保護者の中に、不安な方がいらっしゃったら、どうぞ安心して不安になっていただきたいなと思います。その先に必ず希望が見えてくるはずですから。
それでも不安が消えないのなら、そのときは私にご相談いただいてもいいですよ。






高校2年 下田勝一郎くんのお母様(お父様)


電話で怒鳴り込む父

高校2年の下田勝一郎の母です。息子の中学のお試し受験(注)で暁星国際学園に来たとき、試験時間の合間を利用して、保護者対象の説明会がありました。(この時はまだヨハネ研究の森コースのことは知りませんでした) そこで、当時のヨハネ研究の森の生徒が3名、それぞれの生活について語ってくれたのですが、 私たちはその姿に衝撃を受けました。 私は先に待機室に戻ったのですが、主人はそのあともヨハネ研究の森に残って、生徒や先生方に質問をして、なかなか帰ってきません。 ようやく帰ってきたと思ったら、「もうここに決めた」って騒いでいるんです。
(「お試し受験」:本命の志望校を受験する前に、第二、第三志望の学校を受験して入試に馴れるようにすることをこのように言うことがあります)

結局、当時別の私立中学校に通っていた姉も編入することになって、姉と弟の両方を入学させることにしました。 そして、これでめでたし、めでたしとなればよかったのですが、入学してからがまた大変でした。 娘から電話があって「弟が一人部屋に入れられている(注)」って言うんです。 主人はチューターの先生に電話をかけて 「うちの息子になにをするんだ」って怒っていました。完璧にモンスターペアレンツかと。(笑)(「一人部屋」:ヨハネ研究の森は共同生活を重視しているため、個室で生活することはよいこととされていません)

先生は落ち着いて受けとめて下さり、「入学したら、全てお任せください」と言われたんです。 最初は、全然納得できてなくて、こんなところに入れて間違ってたんじゃないかって主人は思ってたんですね。 でも、本人が「今考えれば、このときにいろんなことを考えることができた」と言っていて。 話す相手がいないから本を読み、自分と向き合って考えるしかない。 とてもぜいたくな時間を与えてもらったんだと今は思います。


覚悟を決めた息子

息子は意外と早く、「自分はここで生きていくしかないんだ」と言い出しました。 そして、自分の「場をつくりだす」にはどうすればいいのか考えていました。 自分の部屋、掃除、徹底的にやる、誰にも負けない、これだけはというものをつくろうと決心したらしいんですね。 そこからは、なじむのは早かったです。

光り輝くような先輩がいて、今でも勝一郎はあの先輩だったらどうするかと考えるそうです。 異学年が一緒に暮らす寮生活だから、そういう先輩に出会うことができたんだと思います。


ヨハネを卒業した娘

娘のことを少々。ヨハネでどれだけできるようになるの? ヨハネ研究の森の学習スタイルでやっていって、卒業してちゃんとやっていけるのだろうか?と心配している方もいらっしゃるでしょう。

娘は今年、立命館アジア太平洋大学(APU)に入りました。 九州にある大学で、半分が外国人留学生という非常にユニークな大学で、授業も日本語と英語の両方で受けるんです。 これは娘に取材したんですが、自分が入学して一番最初に感じたのは、 「なんであたしってこんなにしっかりしてるんだろう・・・」ということだって言うんです(笑)

大学に入って、本当に自分がしっかりしていて、何もかもテキパキできて、みんなに頼られる。 授業でレポートを出せば毎回優秀作として取り上げられる。 違和感を感じるくらいしっかりした自分がそこにいたそうです。

入学当初は、さすがに大学の授業についていくのは大変だったようです。TOEFLの試験結果も芳しいものではなかった。 でも、学年(約千名)で18人しか受からない「スーパー留学コース」というコースに見事に受かったそうです。娘は、「なんでだろう。おかしい」と思って事務局に聞きに行きました。

「あなたほど留学への情熱がこもった文章を書いて出した人はいない。 誰が読んでも感動できる文章を書いてくれた。 それでスコアだけを見ればは少し足りないけれど、このコースにはこういう人が必要なんだと判断したんです」と言われたと言っていました。 娘は今、将来交換留学で外に出たいという人の集まりの中で、必死に勉強していて、メキメキと英語の力をつけているようです。

ヨハネの学びってなんなんだろうって、私たちは親のほうは不安になったり、心配したりしているんですが、 卒業した娘はヨハネで学んだことが知らないうちに力になっていると言います。 本当に褒められているようで。 レポートも、英語も。スポンジが水を吸い込むように成長している。 3年生のゼミに1年生から参加させてもらえていて、本人は「これはヨハネの学びのおかげだ」と言っているんです。 「ヨハネ研究の森で、もっと一生懸命やっておけばよかった」と娘はいつも言っています。

最後に、ヨハネ生のみなさんに、そんな奈々枝(娘)からのメッセージがあります。 「ヨハネ生よ、もっと真剣にもがき苦しめ。その先になにがあるか・・・それは卒業してからのお楽しみ」。


COLUMN  〜 ヨハネに入って仲良し姉弟になれた 〜

下田家の2人の姉弟、実は入学する前はとても仲が悪かったんです。 息子は偏差値のことばかり言われてカリカリしていて、娘は大学までの一貫校でのんびりと。 住む世界が違うという感じでした。

ヨハネに入って「初めて家族を意識した」と娘が言っていました。 ヨハネに入って初めて弟というものを考えた。 勝一郎も受験戦争から解放されて、大好きなカブトムシの飼育をさせてもらって、 「偏差値、偏差値」と言われることもなく、初めて開放的な気分になった。

今までの環境からリセットしてヨハネに入って、いつの間にかお互いに頼ったり頼られたりする関係になっていたようです。 気付かないうちに、奈々枝が「勝一郎ってクールでかっこいいんだよ」とか、 「スピーチをしたときに勝一郎が言った『筋を通す』という言葉が好きだ」とかほめるようになったんです。 勝一郎も合気道の試合でバッタバッタと人を投げ飛ばす奈々枝がかっこいいとか、 奈々枝の誕生日に男子生徒から寄せ書きを集めてびっくりさせたりと。 今でも勝一郎はヨハネ一のベスト姉弟だと自負しているようです。






中学3年 岩間弘晃くんのお母様


子どもに甘えない

私は3年前にヨハネ研究の森を見学し、「自分もこういう教育を受けたかった」と心底思いました。そして、そのときに息子を入学させたいと決心しました。寮生活で学ぶことも多いだろうとそのときは思ったわけですが、本当に学ぶことが多かったのは子どもよりもむしろ私自身だったように思います。

子どもと離れていろんなことを考えさせられました。 ヘレン・ケラーが母親から離れてサリバン先生との生活が始まった時(映画「奇跡の人」をヨハネ研究の森では全員で観ることがあります)の母親のように、「これでよかったのか」と迷ったり、「会いたい!」と思ったり。 そして、自分がいかに「先回り」していろんなことを与えようとしていたのか。 実は私のほうが子どもに甘えていたのではないかということにヨハネに入ってから気付きました。

大人になるということは、一人前に、自分で生活できるだけでなく、精神的に自立することだと思います。 社会に出て生きていくためのお稽古場がヨハネ。 子どもには、いろんなことを体験して、心が折れないように強くなって欲しいと思います。

そして、子どもが家に帰ってきたときに、心穏やかに見守っていくことができるようになること。 それが私の自立かもしれません。帰省の2、3日前から、頭の中で繰り返し「つまらないことで怒らない、 多少のことは目をつむる」と呪文のように唱えていますが、1日しかもたない。 ついつい、「あれやれ、これやれ」と先回りをしてしまう。その繰り返しです。 帰ってくるたびに少しずつ変化している息子を信じて見守っていける強さを持ちたいと思っています。



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