はじめに
2月8日、映画「硫黄島からの手紙」に出演した尾崎英二郎氏が、私が在学するヨハネ研究の森に公演を
しにきてくださった。その内容は、硫黄島に出演して感じた戦争観や歴史そのものばかりでなく、それを通
じての尾崎さんの生き方が表れていたものであったと思う。もちろん私たちが硫黄島研究をしているため、
その関連の話から展開されていったのであるが、話の本質は硫黄島そのものではなかったと思う。
あそこまで話を熱く語る人間は、どこにいてもそうやすやすとお目にかかれるものではない。尾崎さんは
誠心誠意で、一つ一つの話にとても力を入れ、自分自身にその一つ一つを問い返していた。
本稿では、尾崎さんが公演にて話されたことを一旦洗い出し、そこで私の見解、感嘆したものを加えてい
きたいと思っている。
映画「硫黄島からの手紙」に出演して
尾崎さんは、今回「硫黄島からの手紙」の劇中で、大久保中尉といった役柄を演じられた。別に、尾崎さん
は実際に硫黄島で戦ってきたわけではないし、本物の戦争といったものに自ら触れたことはない。しかし、彼
だからこそ言えるものがある。硫黄島からの手紙という世界の討議の対象となる作品に出たからこそ、クリン
ト・イーストウッドや渡辺謙といった、大物に出会っているからこそ話せることがある。なによりも、彼の情
熱だからこその話が聞けたと思う。
戦争
尾崎さんはこれまで、出演作品の中で「特攻隊」や「捕虜」の役をやっていた。だから、それなりに近代史
のことは勉強したし、ある程度理解を付けていたという。しかし、硫黄島のことは全くと言ってよいほど知ら
なかった。同作品にて主演を務めた名俳優:渡辺謙氏さえも硫黄島のことについてはよく知らなかったという。
要するに、クリント・イーストウッド映画監督がこの映画を企画するまで、大半の日本人は「硫黄島」に対し
て特に何も思わなかったのである。戦争というものに対する考えが甘いどころか、考えさえもしない。皆、戦
争が「暗い」だとか「死ぬ」といったイメージだけで判断し、「戦争はダメ」の一点張りである。
尾崎さん自身、学生時代にアメリカに渡ってから「なぜJapanはパール・ハーバーをしたんだ?」と学友に聞
かれても、分からなかったという苦い経験がお有りのようである。何が悔しいかというと、自分は日本人なの
に、日本のことさえもまともに自分なりの解釈がないということだったらしい。そこで、日本とアメリカに差
を感じたそうである。本当は、今でも戦争のなごりがあり、女生徒のセーラー服は水兵からきている。男子の
制服にしてもつめえりは軍服からのなごりである。現在「寮」といった体制が学校に大分普及されてきたが、
それも元は軍人養成学校からきている。
歴史
もちろん、問題は戦争を捉えようとしないことだけでない。広い意味で、「歴史」ってなんなのかというこ
とにも繋がってくる。尾崎さんは、歴史を以下のように捉えていた。
『これから行動をしていく上で、過去からの文脈を踏まえて生きる材料』
言葉は違えど、大体このようなことを話していた。今問題となっている「教育改革」にしろ「憲法九条」に
しろ、なんにしろなぜ今そういうことになったのかを知っていないと処理のしようがない。小学生が学校で生
きていく中でも、そういった類のことはやっているのである。喧嘩をした二人にまず聞かなければいけないの
は、喧嘩をした背景、文脈である。
最近、全国の高校で履修科目の問題があったが、その中で世界史を特に怠っていたという事実がある。また、
どこの学校でもそうだが近代史を適当に扱う傾向がある。大抵年代順に授業をしていって、三学期になると近
代史を学ぶ。そこで、近代史をなぜか「テストがあるから」とか「最後の学期だから、いろんな締めくくりを
しないといけない」といって大抵はほっぽらかす。尾崎さんは「あとは自分で教科書読んどけ」と先生に言わ
れたのが凄い印象に残っていたらしい。
ある意味、逃げている訳である。日本史だったら探っていけばいくほど自分のルーツが分かってくるし、世
界史を学べば現在までいかに世界が動いてきたのかが更に分かってくる。「だから今の世の中はこうなってい
るのか」と理解がつき、そこではじめて自分のやりたいことや、立場などを踏まえた上での行動ができる。
また、愛国心といった言葉があるが、「国の為に死んでくれ」と言われて自分が死ねるか。尾崎さんには、
到底無理だという。第一に、自分はまだやりたいことがある、夢があるから、死ぬこと自体嫌だ。親が子を守
ってというのは、本能だし、これは今でもある。
何で、国の為と言って死ねたのか。当時戦争に行く人は、今の日本人にはないような考え方があったのか。そ
れっていうのは、自分の「大切な人」「家族」がいたからだと思う。でも、現日本人にはその色が薄い。どう
しても自分中心で考えてしまう。そういった精神や、理性だって見習うことができるのではないか。
日本人として
現在の日本は、先進国としては極めて特殊であり、この61年間一度たりとも戦争をしていない。内乱も紛争
もしていない。アメリカは昨今もイラクやアフガニスタンで戦うし、湾岸戦争やベトナム戦争、更には朝鮮戦
争までしている。冷戦にてソ連と睨み合い、キューバ危機を起こしたほどの国である。その中で、資金援助は
するものの、一人たりとも戦争で国民を殺していない戦後日本がある。国家同士で争うということは避けてき
た。
戦争をしなくなったのはよしとして、現在の日本人がどんな人間なのかを考えてみる。すると、「Japanは
パールハーバーをなぜしたのか?」ということを聞かれても分からない人間がいっぱいいる。今、日本がどう
いった情況なのかをつかめさえしない社会人がいる。ただ生きていけるから生きていく。人間としての発展が
見られない。もちろん、個々の範囲内ではいろんなことを考えて取り組んでいるのだろうが、所詮その範囲で
ある。
要するに、結局終戦してから61年間、日本という国はケジメをつけずに逃げ回ってきた結果できている国だ
と言いたいのである。もちろん良い面はたくさんあった。日本だけにしかできないことが今いっぱいできてい
る。国内でエンターテイメント、メディア業界などがいろんな発展を遂げていきている。今の日本が世界で紛
れも無く発言力のある国だということは、どの国からもお墨付きである。
そこで、日本人として今回「戦争」ということに関してできることの一つに、"民間人"といったもののイメ
ージを変えていくことである。本来人間というものは、1人1人がそれぞれ様々な環境で生きてきて、それぞれ
がいろんな考え、顔つきをしている。
決して「民間人」と一括りできるものではない。今、北朝鮮と聞くと嫌なイメージが強いが、大半の人は北
朝鮮のイメージを「金正日総書記」一人で考えている。実際、北朝鮮で生活している人たちはどんな人たちな
のかというと、最近TVの特番でとても貧しいということを知ったり、本や雑誌にて実体験が綴られていたりし
ている。
イラクのイメージもサダム・フセイン一人だし、当時ナチスと呼ばれた人たちも「アウシュヴィッツ収容所
にて600万人殺害」といったイメージで考えている。実際イラクに住む人々は、フセインの銅像をアメリカ軍が
倒した時にどれだけ一喜一憂したことか。600万も殺したというが、実際数は分からないし、ナチスがしたこと
が本当のところどういったことなのか分からない。尾崎さんも日本人として、日本らしさを出していくにはそ
ういったことを以下に扱うかに掛かってくるとおっしゃっていた。
このように、いろんなところで勝手な解釈がなされている。そういった人間に、日本人が「言論の自由」を
効用して、「本当にそうなのか」「もっと吟味してはじめて分かることがある」といったことを伝えることが、
日本人の使命と成ってきている。
尾崎英二郎の生き方
尾崎英二郎という人物はとても正直である。何が正直かと言うと、自分の人生をまっすぐに見つめていると
ころにそれはある。何よりも自分の自尊心と、ハートの熱い人間であり、惚れ惚れするような顔つきをしてい
る。この人がいかに"自分"というものを考え続けてきたのかが、あの約五時間程度のお話で充分すぎるほど分
かった。
アーティストとして生きる尾崎英二郎
尾崎さんはもともと、小さい頃から劇や歌、絵を描くことが好きだったそうである。小学校四学年の時には、
クラスでの演劇を自分で監督、脚本、主演をしていた。中学校を卒業する頃になると、自分の中で俳優を志願
する気持ちが強くなったという。そういった根本のきっかけがあって、今の「俳優:尾崎英二郎」がいる。
今尾崎さんが主に生きている環境で大幅を占めているのが、"芸能界"というところ。特に俳優業のところで、
主にテレビドラマや映画などで役を演じる仕事である。尾崎さんは、芸能界という自分の居場所を持っている
ということである。
その芸能界、日本のエンターテイメント業界というのは、出演するものによって報酬に差が出てくるらしい。
大雑把に分けると、テレビ、映画、そして舞台(劇)。基本的にはテレビ出演が一番報酬が多く、逆に舞台は
一番少ない。尾崎さんは主に映画や舞台にて活躍なされるために、金銭面にて苦労されたそうである。
テレビの冠番組で司会を務めるような人は、一回の放送で数百万単位の報酬をもらう。尾崎さんは、前に
「THE LAST SAMURAI」にて侍の一人を演じたが、その映画一回で更に台詞が無いような役だと、一回の映画で
もそんなに大きな額にはならない。
でも、尾崎さんにとってみれば、別に「笑っていいとも!!」に出演しなくても、「THE LAST SAMURAI」に
出演したり、その撮影現場に居るほうがよっぽどいいのである。それというのも、尾崎さんはもともと俳優で
ある。別に俳優はテレビに出演する必要は無くて、舞台の稽古や映画の撮影をすることの方が大事なのである。
そもそも「尾崎英二郎」という一アーティストが、本当のところ何がしたいのか、何を目的として俳優をして
いるのか。そこを吟味せずには尾崎英二郎は語れない。
別に「笑っていいとも!!」に出演するがために俳優をやってきたわけではないし、もちろんそういう人も
いるが、ほとんどの場合自分が何をしたいかというところを指針としている。車の運転免許を取れば、車が持
てて、どこでもいけるようになる。でも、結局は車に乗ってどこに行きたいのかが重要なのであり、車を持つ
こと自体が自分のためになるわけではないのだ。
自分にとって何が重要なのか。自分にとっての重みとはなんなのか。他人にはない、自分が重要だと思える
ものなんて、いくらでもある。尾崎英二郎という人間にとっての、アーティストにとっての重み。それを考え
て行動していかないといけない。
やりたいこと
自分が将来、本当に生涯をかけてやっていきたいことがあったとする。本気でやりたいと思っているが、周
りからは反論が飛んでくる。「無理だよ」と言われて、自分の中でも「どうなんだろう」と不安になってくる。
また、他人の目を恐れて、やりたいことを拒絶したりということがこの世の中では多々ある。
しかし尾崎さんは「本当にやりたいことがあるんだったら、とことん突き進め」と言う。なぜならば、本当
に自分がやりたいことだったら、なにをこれからするにしても、目的に向かって頑張れるのである。どんなこ
とでも自分の好きなこと、将来やりたいことに関連させていく。そもそも、自分に対して「無理だよ」と言っ
てくる人には、自分の人生をいかに過ごすかの保証がない。いくらその人が理路整然としたことを述べたとし
ても、その人が自分の人生の責任をとってくれるわけではない。あくまでその人の視点であって、理路整然と
したことであっても、その話一つで自分のことを180度変えられるような、そんな簡単なことではない。人
の話は、あくまで参考にしておかないといけない。もちろん、自分がやりたいことを見つけていく過程の中で、
自分の考えに根本から影響を与えた人であっても、「自分の考え」というものが本当にできたなら、全て受け
入れる必要はない。更にいえば、他人を納得させるようなことをやってみろということ。納得させれば、自分
の勝ちであって何をしても文句はない。別に、好き放題なんだってやっていいぞと言うわけではなくて、自分
の筋を通した上でのやりたいことである。
もちろん、客観的に見て自分がどうなのかと言うことを考えると、それは他人の方が優れているのかもしれ
ない。そういった目も養わなければいけない。でも、誰よりも自分が、自分のやりたいこと、好きだと思える
ことを分かっているから、誰よりも自分を信じて行動を起こしていかないといけない。いろんな壁があるが、
それを乗り越えて、自分の周りに衝撃を与えてあげる。それができる人が、本物の人間なんだと思う。
(中3 T.M.)
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