卒業生の声

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聖心女子大学進学
文系女子

人類の叡智と対話する

一風変わった学校との出会い
 「ヨハネ研究の森」という一風変わった名前の学校がある。「ヨハネ研究の森」というのは、正確には暁星国際中学校・高等学校という学校にある一つのコースの名称なのだという。
 当時、4つのコースがあるその学校の特進・進学コースに私の母の友人のご子息が在学していて、ヨハネ研究の森コースを「本好きな子にはぴったりのコースだと思う」と私に薦めてくれたことがきっかけだった。
 母の友人は、私が本好きであったことだけではなく、当時学校に行きたがらなかったことや、どこか殻にこもったようなところがあることも知っていた。そうしたことを踏まえて、ヨハネ研究の森が私に合った場所であると教えてくれたのだった。「何か変わった学校なんだな。」母の友人の話と、パンフレットやホームページを見て思った。「変わっている」というところに、漠然と興味を持ったことを覚えている。
学校見学
 当時、学校に十分登校できない中で受験生となっていた私にとって、進学先をどうするかという問題は切実だった。もっとも、当の本人は元来の性格もあって全く気にしていなかったが、今にして思えば、両親はかなり心配していたはずだ。すぐに両親と3人で、ヨハネ研究の森を見学することになった。
 見学の後、説明を兼ねた面談があったが、当時の私は自分の心を他者に知られたくないという思いが強く、適当にその場を取り繕うような子どもだった。大人や周囲に対し、「自分の何がわかるのだろうか」と孤立感のようなものを抱いていた。それは、自分が他者に対して自己開示をすることを拒否していたことに起因するものだったが、「わかってほしいが、自分から伝えたくはない」という思春期のアンビバレントな感情の上に、私の大人に対する超然としたような態度はあったように思う。
 そのような状態だったため、私は面談の席で終始うつむきがちで、先生とはあまり目を合わせないようにしていた気がする。だから、どんな話をしたかということはほとんど記憶に残っていない。けれども、私の面談を担当してくださった主任研究員の先生が、その大きな瞳で私の目をじっと覗き込んで、「勉強することと学ぶことは、違うと思わないかしら?」と語りかけた言葉だけが、強く印象に残った。その先生の直感的に捉え、その一言に惹かれたことをよく覚えている。言外に、「あなたにはそれがわかる」と言われたような気がしたのも、どこか心地よかったのだ。今にして思えば、私の「勘違い」はここから始まっていたのだと思う。
研究員と主任研究員
 それまで私が知っていた学校の先生は、何も知らない子どもを教育する存在であり、子どもはモノを知らないということを前提にしているような感じを受けていた。しかしその一方で、先生にだって答えられない質問や知らないことがあることを私たち子どもは知ってもいた。それでも、子どもは大人よりモノを知らなくて、無力で、一方的に教育される存在なのだと思うと、どこか釈然としない気持ちもあった。大人になった今であれば、先生だって人間で、専門分野だってあるのだから、そんな風に思うのは無情なものだとわかる。それは研究者の卵として、中高の教員になった現在の自分の立場を反映した切実な思いなのかもしれない。けれども、中学生当時の私は、そうしたことに対しても悶々としていたのだった。
 しかし、先生のことを「教師」ではなく「主任研究員」と呼ぶこのヨハネ研究の森では、子どもは何も知らない「生徒」ではなく、それぞれに意思や考えを持った「研究員」として認められ、扱われるのだという。私はそれが、とてもいいと思った。
 結果として、私はヨハネ研究の森に入学することになった。今の自分の状況を変えなければならないことはわかっていた。その変化を成し遂げられる場が、このヨハネ研究の森であるという予感がした。
学びの共同体
 ヨハネ研究の森に在学した時間は、私の人生の肥料を得られた、濃密で貴重な時間だった。世界各地から集い異なるルーツや興味・関心を持つ同年代の研究員たちは、それぞれ、「生徒」ではなく「研究員」であるというプライドを持っている。自分の頭で考えること、他者と協働し尊重し合うこと、そして本気で隣の友人にも自分自身にも向き合うこと。以上のような私たち人間にとって大切で基本的な「生きる力」を、私は学びの共同体であるヨハネ研究の森で学び、培った。
 その過程では当然、辛い時期や行き詰まることもあったが、どんな局面でもたった一人で立ち向かわなくてはならないことは、ただの一度もなかった。そして次第に、自分から周囲の友人たちと距離を取るのではなく、周囲に分け入ることを選ぶようになった。
「勘違い」を本物にする
 私は小学校に上がった頃から日本史が好きだったが、この共同体の中では一人前に歴史の専門家のような顔をして、歴史の面白さを周囲に伝えたいと思うようになっていた。自分の得意分野を徹底的に伸ばすことができることは、ヨハネ研究の森のカリキュラムの大きな特徴である。研究員はそれぞれ自分の得意分野を持っていて、まるでその分野の専門家であるかのような「勘違い」をしながら、その勘違いに見合うだけの中身を本当に身につけようとしている。
 このような「勘違い」は、学びの共同体において否定されたり馬鹿にされたりすることはない。むしろそのことに対しては主任研究員と研究員の関係なく、互いに尊重し合い、各自の道を究めんとする同志なのである。そして、子どもらしい素直な「勘違い」は、未熟な中身を成熟させ、やがてその子を「本物」にするのだということを、ヨハネ研究の森は知っているのだ。
 私は「勘違い」を認められるという幸福を得て、大学では兼ねて惹かれていた日本史を専攻することに決めた。この進路選択は、ヨハネ研究の森と出会わなければあり得なかったと思う。ましてや、その後歴史学で博士後期課程にまで進むとは、考えてもみないことだった。
 壮大な「勘違い」に加え、他者と共に生きようと思う社交性を身につけた私は、他者と得意なことを共有する面白さを知ったのだ。そのことにより、趣味として一人で歴史を知るのではなく、歴史学という学問として歴史を学び、それを人類の共通知としていくことに自分も携わりたいと思うようになった。
挑戦や失敗を恐れるよりも、楽しめる人になる
 いっぱしの歴史家のような「勘違い」をしていた私が、本当は何も知らなかったことを知るのは大学に入ってからのことである。しかしそれは、挫折や絶望ではなく、新たな知的刺激に満ちた生活の始まりだった。
 ヨハネ研究の森は全寮制であり、常に他者と向き合いながら学びや生活の空間をつくっていくことになる。それは、思い切り楽しい時もある一方で、同じくらい辛く大変な時もある。しかし、それを主任研究員である先生方や周囲の仲間と共に乗り越えられたという経験が、自分自身の揺るぎない自信や土台になっているのだと思う。
 そして、ヨハネ研究の森の特色として、一般の学校では考えられないような貴重な機会がたくさん与えられるということがある。大学のワークショップに参加したり、一流の研究者の方々をお招きしてセッションを行なったり、国際問題や社会問題について学校の枠を超えて同年代の子どもたちと真剣に討論し、プレゼンテーションする場に参加したり‥‥と、具体例を挙げればキリがない。
 常に一流のものに触れさせてくれる環境があり、それに惜しみなくチャレンジさせていただけたことは、何ものにも変え難い財産である。そしてヨハネ研究の森を卒業した私たちは、いつの間にか度胸がついて、挑戦や失敗を恐れるよりも、楽しめるようになってくるのである。こうした経験や精神性は、私がヨハネ研究の森で得た大きな財産であると思う。
ヨハネ研究の森で培った財産
 私がヨハネ研究の森で培った財産は、挙げればキリがない。しかし敢えてここでもう一つ挙げるとすれば、「言葉」へのこだわりがある。
 それは、他者とのコミュニケーションや自己との対話、そしてレポートや論文を執筆するに際して重要になるものであるが、ヨハネ研究の森は「言葉」にこだわる学びの共同体であった。
 ヨハネ研究の森では、研究員はあるテーマに対して「本当のところはどうなのか」、「なぜ、そう考えるのか」という問いに向き合うが、その過程で私は、言葉によって掬い取れることと、言葉にすることで掬い取れなくなるものがあることを知った。そして言葉に対して、畏敬の念を抱くようになった。
 奇しくも、コース名にもあらわれる聖人が書いた『ヨハネによる福音書』は、次のような書き出しで始まる。

「はじめに言(ことば)があった。言は神であった。」

 具体的な信仰の有無や違いに関わらず、神と表現される崇高な存在は常に私たちの側にあり、私たちを助け、そして私たちの拠り所である。けれども、私たちは神さまを畏れてもいる。それは私たちの中に、人知を超えた存在であるという漠然とした、しかし明確なイメージがあるからだ。
 『ヨハネによる福音書』は、「言は神であった」と言っている。しかし、今を生きる私たちはどこかで、人間は言葉を操る存在であり、言葉は私たちが使う道具の一つに過ぎないと思っているのではないだろうか。
 けれども、私たちは言葉によって形作られ、時に操られもする一面を持っている。古代、この日本列島に暮らす人々が「言霊」を信じたことからは、古の人々による言葉に対する畏敬の念を感じる。
人類の叡智と対話する
 私たちは言葉の持つ力に対して、いつの間にか無自覚になったのではないだろうか。強い言葉によって人々が突き動かされ、世界が憎しみと涙にくれた時代を私たちは知っている。そして世界はいま、また新しく生まれてきた子どもたちに、そんな時代を体験させようとしているようにも見える。
 このような時代に、人間の知性が何をできるかということは、いまを生きる私たちに共通する課題である。そしてそれは、蓄積された人類の叡智と対話をする歴史学を専攻する私にとっての、大きな課題である。
 私はヨハネ研究の森で得たたくさんの財産を糧にしながら、これからもこの課題に挑戦していきたいと思う。そのことが、彩り豊かな言葉をくれたこの学びの共同体に対するご恩返しになると信じている。