上智大学進学
文系女子
叡智の扉 Gate to SOPHIA
- アカデミーへの憧れ
- 2年間のイギリス・ケンブリッジの女子校での経験を経て、「アカデミー」への憧れと寮生活への憧れを抱いて帰国したことを昨日のことのように覚えている。通学路に佇んでいたケンブリッジ大学のキャンパスの美しい芝生には、大学のフェローのみが立ち入りを許され、彼らはそこで悠然と哲学対話や読書を楽しんでいた。「そこに入れる人になりたい!」というのが、私が初めに抱いた夢である。また、女子校の先輩方は校舎と一続きになった附属寮で生活し、学友と議論を交わしながら登校されるのが常だった。私も漠然と、成長したらそのような営みに参加していくものだと感じていた。
それらへの憧れを実現できる学舎であるという予感を抱き、イギリス仕込みのクイーンズイングリッシュの発音を携えて、ヨハネ研究の森の扉を叩いたのである。 - ヨハネ研究の森に入学して
- ヨハネ研究の森では、先生を主任研究員、生徒を研究員と呼び、学びの共同体を作り上げている。また、全寮制であるため、研究室(教室)で過ごした人々と下校後の大部屋でも談話に興じる。そのように、学びと生活が地続きになった環境で、自分に向き合い、真剣に対話してくださる主任研究員の先生方と研究員の仲間に恵まれ、他者と対話することを通じて自分がそれまで気づいていなかったことに気づく喜びに目覚めていった。
もちろん、初めは戸惑いが大きかった。全研究員が一堂に会し、年間統一テーマへの研究を深める「セッション」の時間が、ヨハネ研究の森という学びの共同体の中核をなしているのだが、初めは、セッションで飛び交う言葉がわからず、混乱の日々だった。正確に言うならば、話されていることを日本語として理解できるが、実感がなく、何の納得も得られず、ひたすら混乱していた。ヨハネ研究の森ではその日の学びを振り返り総括するレポートを毎日作成することになっているが、そのレポートを前にしても自分が何を考えて過ごしていたのか言語化することができなかった。 - 日々の学びのあしあと
- しかし、主任研究員の先生方、そして研究員の先輩方が手を離さず、学びの道を先導してくださったおかげで、一人では興味を持たず素通りしていたであろうことにたくさん触れられ、哲学という人生の指針に出会うことができた。
例えば、年齢も背景も異なる研究員で結成した化学研究会では、私一人では到底興味を持つことができなかった元素について研究を行った。研究内容そのものは、現在古代ギリシア哲学を研究している私の進路に直接つながることはなかったが、化学という枠組みで世界を見る経験ができたことは、世界を見る様々な枠組みについて探究する哲学の営みにつながっているように思う。また、既習者と未習者混合で結成したゼミ・フランスの森に未習者として参加したことから、フランス語力は極めて未熟ながらもフランスへの親しみを覚え、大学進学した後のフランス・ブザンソンへの短期留学へと繋がった。
何より、アカデミックな日本語と英語を獲得することができたのは、ヨハネ研究の森の先生方と仲間に出会えたからであったと確信している。私がイギリスから日本に帰国した時には、世界でも珍しいクイーンズイングリッシュの発音を操っており、帰国から時間が経ってもそれを忘れることはなかったものの、文法や語彙はお粗末なものであった。そのため、日本で帰国子女として扱われるほど、自分の英語力への自信を失っていった。しかし、(言語が何であれ)書物に触れ、書き言葉を身につけることを重視するヨハネ研究の森で過ごす内に、自分の中で日本語を用いて表現する力が備わっていき、いざ英語で自分の考えを表明しようとした時に、以前よりもすらすらと言葉が出てくることに気づいた。 - 学外への冒険
- 具体的には、大阪大学大学院国際公共政策研究科が主催するFuture Global Leaders Campに3年連続で参加させて頂き、他校の高校生と協力して、国際的な政策について研究されている先生方にプレゼンテーションを行う機会に恵まれたり、国際津波防災学会で学会発表や学術論文執筆の機会を頂き、それに向けて災害対策の先行研究を深く調査したりした。これらの活動は日本語を用いて行ったものだったが、不思議なことに、これらを終えた後には英語を用いた表現力も豊かになっていた。
これらの活動を通じて、学術への憧れを募らせると同時に、自分には学問的体力がついているという自信もついたため、夏期長期休暇を利用して、アメリカのセブンシスターズとして有名なボストンの私立ウェルズリー大学への短期留学に挑戦した。ウェルズリーでは、ギリシア神話をはじめとする古代ギリシア文化についての講座を受講した他、英語圏の学術論文の書き方について徹底的に指導して頂いた。
貴重な経験を積んだことと、ヨハネの先生方が語学に対して消極的だった私の英語を認めてくださり、仲間が並走してくれたことで、それまで疎かにしていた語学としての英語学習にも向き合うことができ、英検1級修得や、一般入試による大学受験へと繋がった。最上の先生方と学びの仲間に恵まれて大学受験ができたことは私の生涯の誇りであるし、国際的な大学において、インターナショナルスクール出身者や長期留学経験者が多数を占める中で、胸を張って英語を用いることができていることに心から感謝している。 - ソフィアへ
- ヨハネ研究の森では、その時その場では自分にとっては繋がりや意義が見出せなかった学びの種も、やがて他の物事と繋がって芽吹いていくという経験を多くさせて頂き、その楽しさをよく知った。また、物事の繋がりを見出し、新しい世界の見え方を発見し、それを通じて真理に到達する、という喜びは、哲学を学ぶ今の進路にそのまま繋がっている。中高時代に聖ヨハンナ寮で仲間と語らっていたのと同じように、アリストテレスやカントなどの書物の中の先人との対話を多言語で楽しみ、思わぬ物事の繋がりを発見しては喜んでいる。
何より、ヨハネ研究の森というアカデミーで最上の先生と仲間に出会えたことが、私の人生最大の幸福であると思う。学習面だけでなく、生活面の細かなところに至るまで、私に向き合い指摘してくださった方々と中高時代を過ごせたことはとても貴重であった。12歳の何も知らない私に惜しげもなく真理の美しさを示し続けてくださった学びの祖父がおり、何もできない私を受容してくださった母のような方がおり、私のことを常に想い、私の活動を自分のことのように喜んでくださるふるさとがあるから、今でもチャンスを見つけた時に恐れずに挑戦できている。また、一人で閉じこもるのではない、対話の喜びを教えてくれた仲間がいたからこそ、大学というステージに移っても、学生生活を楽しめているのだと確信している。
ヨハネ研究の森でも、今の進学先でも、素敵な先生方、仲間に恵まれたアカデミーでソフィア(叡智)に手を伸ばせていることに心から感謝している。