ヨハネ通信

ヨハネ研究の森の日々をお伝えします。

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卒業生寄稿「plus haut ―より高く―、今を共に生きる」

御言葉の祭儀の際に、ヨハネ聖歌隊のサポートに駆けつくてくれた今は社会人となっているOGのMさんからご寄稿いただきました。

場を感じること、共鳴すること
私は、朝礼で先生の「おはようございます」という声を聞き、皆さんのメモを取る姿を見て「ああ、ヨハネの朝礼だ」ということを自分の五感を使いながらひしひしと感じています。この「共鳴する」ということは、「学ぶことの基礎であり、学ぶことの土台」です。逆に言えば、「それさえあれば絶対に大丈夫」という、学びの根幹であると考えています。

世界の奥行きに気づき、自分の小ささを知ること
ヨハネでの学びを振り返り最も重要だと思えるのは、自分の小ささを知ったことです。
研究室で窓の外に広がる深緑の森を眺めながら、岡田先生の『歴史とはなにか』を読み、初めて歴史の面白さに気づきました。それまでテストのために覚え、満点を取っていた歴史とは違う、本物の歴史の奥行きを見、そして自分の未熟さと出来なさ、小ささを知ったことが、私の出発点だったと思っています。

同じものをみること、物語を感じること
日々の生活の中では、みんなで朝一緒に起きてご飯を食べて、色々なことを語り合い、時に喧嘩をして、自分の隣にいる人、自分の目の前にいる人が、何をみているのか、何を思っているのか、その「同じものをみる」ということが全てでした。それは今現在の私の目に見えているものだけではなく、この学園はいつ・誰が・どうやって、どんな困難を経てつくってきたのか、そこでどのような人が学んできたのかという歴史も含まれます。
この学園には「物語」があり、流れ続けている「息遣い」があります。この息遣いを感じる中で、田川先生や田川先生を想って生きてきた人々が何を見ているのか、そういうことをみた時にぐっと広がった自分の世界には「つながり」があります。「つながりの中で、今ここに自分が生かされているんだ」という感覚がありましたし、今もその感覚があるということを改めて感じています。

「自分で選んでここにいる」
ここにいる皆さんは、もしかしたら「ヨハネって何なんだよ」という気持ちでいるかもしれません。高1の頃の私も早くやめたいなと思う日々でした。ヨハネを好きな人もいれば、もう早く帰りたいと帰省日を指折り数えて待つというような、そういう人もいると思います。一方で、先生がおっしゃっていたことでよく覚えているのは、「みんな選んでここにいるのよ」というお話です。
それが消極的であれ何であれ、様々な背景の中で連れてこられて、自分の意思でここに来た人ばかりではないかもしれない。自分で積極的に選んだ人もいるかもしれない。ただ共通して言えるのは、自分がここをやめていない限り、「選んでここに居続けている」ということです。それは、私がヨハネを卒業した後も、困難にあたった時も、自分を支えてくれるものでした。

みえなくても今もここに生きている
田川先生はいつも「今、生きているんです」という言葉をおっしゃいました。それがどれだけの深さの中でお話し
されていたのか、私は全てを理解できている訳ではないけれど、おそらく「今もここに生きるキリスト」というお話をしてくださっていたんだろうなと思います。

キリスト教は、キリストが死んで葬られ、復活して現れたという出来事から始まる信仰の道です。死から始まるのではなく、神のわたしたちへの愛から始まります。神の愛はもっとも強力な敵を打ち破ってくださいます。そして火が灯されたろうそくは、夜の闇に打ち勝つことができます。死や様々な困難にも、ほほえみながら耐えることのできる理由は、イエスが今もここにおられ、わたしたちと共に生き続けておられるからだと田川先生はおっしゃられるでしょう。イエスは今もここに、わたしたちと共に生きています。復活して生きておられます。
これこそが、キリスト教のメッセージの核心です。これはキリストだけではありません。田川先生も今ここに生きているし、みんなも今ここに生きている。「今を共に生きる」、それだけやっていれば絶対大丈夫なのです。

実践を積み重ねること、今を共に生きること
この生活を続けてて大丈夫なのか、世間ではたくさん教科書を勉強して、ペーパーテストを解いている人がいるのに、と思う人もいるかもしれません。しかし、絶対に大丈夫です。私はヨハネを卒業して、大学、大学院、社会人として生きて10年経ちますが、ヨハネで苦しんできた真価が手に取るようにわかります。修行の真価は、必ず自分が受け取ることになります。
だから、逃げることなく今を共に生きていきましょう。今を共に生きるということが、人が生きていくことの根幹にあるものだということ、これだけは確信を持って言えます。
今日という日は特別であるけれど、これまで続いてきた歴史の中にあって、これから続けていく未来の中にあります。この日、一日を今まで皆さんが実践してきたことを積み重ねていけば大丈夫です。そして、今は目の前には居ない人々が続けてきたものの中にある今日という日を生きていけば大丈夫なんだという気持ちで、自分にできることを皆さんとともに一生懸命やりたいな思います。

より高く、今を共に生きること
今を共に生きる、そして「plus haut―より高く―」、学園の正門を真っすぐ抜けると見える田川先生のあの言葉をみると、私はヨハネに帰ってきたなと思います。
「より高く、今を共に生きる」ということを、今日皆さんと、つながっているヨハネ生として一緒にやっていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

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