ヨハネ通信

ヨハネ研究の森の日々をお伝えします。

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八剱八幡神社 奉納「謡仕舞」(4/4)

今回は秀雲會の解説を取り仕切ってくれたヨハネOGの声の後半をお届けします。

第一回 八劔八幡神社奉納 秀雲會 謡仕舞を終えて(後半)

「解説」とは、その名の示す通り、一番初めに登場して演目等の解説を行うお役目である。それは本来、その性質からしてお能に造詣が深い方が行うべきところと思うが、今回は僭越ながら卒業生である素人の私が務めさせていただくことになった。

かつて習っていたバレエの発表会では必ず行われていた「ゲネプロ」がないことに不安を覚えていたが、本番の前日、来場者の方に合わせて急遽英仏の解説が加えられ、3人で行うことになったのは大変心強いことだった。私は想像を膨らませながら、披露する演目の世界に飛んだ。それらはどれも、私が愛する物語としての歴史の中にあり、歴史という言葉のおかげで私はとても楽しんで、お役目を果たすことができたのだった。

今回、コロナ禍の影響で着用する機会がなく、箪笥の肥やしとなっていたお着物をおろすことができたことも、私の喜びであった。数年前、思い付きで着付けを習ったこともきっとこの日のためだったのだと思ったが、今回という機会自体、私たちの不完全さや未熟さが目立つようでいて実は、あらゆることが緻密に関係しあっており、全て巡り合わせであったような気がした。

解説を終えると、いよいよ奉納の謡仕舞である。一卒業生として、妹や弟たちの逞しい姿に引き込まれながら、よくぞここまで来たものだ、との感慨深い思いに駆られた。締めくくりの番外仕舞、秀雲先生による「小鍛冶」は場の空気が一変し、役に憑依した秀雲先生の迫力に圧倒されたが、その圧巻のお仕舞にお能への興味はますます膨らんだ。

思い返すと、秀雲會の第一回目のお稽古が行われたのは、結果として今回の機会から既に一年を切っていた2022年の
3月末日のことだった。その日は、春らしい陽気の気持ちの良い木曜日だったが、その時お稽古場所になった地下のセッションホールで「猩々」という演目のお仕舞を披露してくださった秀雲先生の迫力と一つ一つの動きの美しさに、初めて間近で本物を目にした私は「これがお能というものなのか」と、衝撃を受けた思い出がある。

その頃、ちょうど大学を卒業して4月から大学院生となった私は、ヨハネで重ねられているお稽古にはそれ以来参加することができていないものの、伝え聞く様子からJohannaが強いエネルギーを注いでお能に取り組んでいる様子を知っていた。そして、そのエネルギーに圧倒されつつ、たどたどしくも素人なりに、お能の勉強を始めたものだった。

Johanna有志から始まった會が短期間でJohanna全体、そして男子の有志にまで広がりを見せたことは、650年もの間、絶えず人々の心を惹きつけてきたお能と、優れた能楽師である秀雲先生のなせる技であると思う。しかし、幅広いことに挑戦し、足を踏み入れたからには何事にも真剣に取り組むという姿勢は、横瀬先生という師を戴くヨハネ研究の森で培われてきた伝統文化であるようにも感じている。ヨハネ研究の森は、どんな挑戦もできる場所であり、それが守られている場である。その意味で非常に自由な場所であり、その自由とは規律と一体化した本物の自由であった。

私がヨハネ研究の森を卒業して、5年が経った。私はここに3年と5ヶ月しか在学していないため、私が学生である期間はとっくに在学年数を超えてしまった。しかし、特にヨハネ研究の森入学前の自分のことを思うと、ここで得た学びや培われた姿勢は今も自分の中に息づいていることを感じており、それは或いはヨハネ版の「甕と水」ともいえるようなものなのではないかと思っている。横瀬先生の哲学を発端とするヨハネ研究の森の伝統はきっと、潤沢な泉である。今後も、幾度も甕を変えつつも連綿と受け継がれていくだろう。そして、矢那の森を巣立った「甕」たちは、あらゆる場所でその中を満たす水に導かれつつ、邁進していくに違いない。「第一回 八劔八幡神社奉納 秀雲會 謡仕舞」という大きな挑戦を目撃・体験したことを経て、私はそう確信している。

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