ヨハネ研究の森ニュースレターより 「人類史のはなし(9)」
2020年4月~5月の休校期間中に配信された
ヨハネ研究の森ニュースレターより、
今回は「都市と『文明』」をお送りいたします。
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人類史のはなし ―都市と「文明」―(ニュースレター第11号より)
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感染症にも大きなかかわりをもつ、「都市」。
その都市は、自分で食べものや資源をつくり出すことなく、
多くの人間をあつめる、実にふしぎな空間です。
この世界で、はじめて「都市」を中心にした国をつくったのは、
いまから5000年ほど前にさかえた、古代文明のひとつ、
「メソポタミア文明」だといわれています。
そして、感染症が、ヒトの世界で一気に流行しはじめるのも、
ちょうどこの「メソポタミア文明」のころからなのです。
ヒトの世界に「都市」がうまれ、人間の数がふえ、
そして感染症も広がっていく、そんな時代のようすを、
いっしょにながめてみましょう。
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メソポタミア文明には、はるか昔の紀元前3000年ごろ、
すでに、「ウルク」や「ウル」という名のついた、
ひじょうに大きな都市がありました。
この広い都市のなかには、すでに、5万人もの
人間がくらしていたといわれています。
そして、はるか遠く、地中海やペルシャ湾、
インドのほうからも、たくさんの商人たちが
やってきて、市場や港は大にぎわいだったようです。
さらに、街の中心には、れんがでつくられた
巨大な神殿「ジグラット」が、どん、とかまえています。
◇「最古の国際都市ウル、50年ぶり発掘再開」
(ナショナルジオグラフィック)
そのころの日本列島は、まだ縄文時代。
三内丸山遺跡のように、大きな集落もありましたが、
ウルクやウルには、ちょっとかなわないかもしれません。
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さて、こんなにも多くの人の命をささえたものは、
やはり、農耕と牧畜でした。
「メソポタミア」ということばには、
「ふたつの川のあいだの土地」という意味があります。
ティグリス、ユーフラテスという、ふたつの川にはさまれた
メソポタミアの土地は、そこでくらすヒトに、
とんでもなく、たくさんの食べものをもたらしました。
この土地に、ひとつぶの麦をまくと、収穫のときには、
なんと、80粒になってかえってきたといわれています。
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ヨーロッパで、種もみ一つぶから、10粒の小麦が
とれるようになったのが、やっと150年前くらい。
これは、いまの技術をつかっても、20粒くらいだそうです。
80倍にもなって、穀物がかえってくるメソポタミアは、
ほんとうに、豊かな土地だったのでしょう。
さらに、この土地は、羊がはじめて
家畜になった場所だともいわれています。
農耕と牧畜が生みだす、食料と資源は、おおぜいの
ヒトの生活を、十分にささえていくことができたのです。
◇NHK高校講座「世界史 第2回・オリエント文明」(映像)
NHK高校講座「世界史 第2回・オリエント文明」(レジュメ)
※川の位置などをたしかめるためにも、便利な資料です。
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農耕による食料にささえられ、都市ができ、国がうまれ、
ヒトが栄えていく段階にたっしたとき、人類はそれを、
「文明(シビライゼーション、civilization)」
と、よびます。
日本語だとわかりづらいのですが、
英語の「シビライゼーション」は、
もともと、「都市(シティ、city)」と
同じ語源からうまれたことばだといわれています。
「文化(culture)」が「耕す(cultivate)」ことと
深いつながりをもっているというなら、
「文明」こそ、まさに「都市」にもとづくもの。
「都市」を中心においた国、古代メソポタミアのような
「都市国家」こそ、人類の文明、繁栄のあかしだというわけです。
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ところで、農耕によって食べものをつくりはじめると、
なぜ、自分では食べものをつくらない
「都市」が、うまれるのでしょう?
その説明は、学校の教科書と、人類史の研究で、
大きくちがったものになっています。
もしかすると、私たちがいま直面する、感染症の苦しみの
大きな原因も、そこから考えられるかもしれません。
次回のおはなしに、つづきます。
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本のおすすめ
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◇山本太郎『感染症と文明 ―共生への道』(岩波新書)
※「文明」がつくる感染症流行のさまを、その起源から描きます。