ヨハネ通信

ヨハネ研究の森の日々をお伝えします。

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ヨハネ研究の森ニュースレターより 「人類史のはなし(8)」

季節ははや仲秋を迎え、ヨハネ研究の森コースを包む
矢那の森にも、虫の声が響きわたる頃となりました。

世界的にも新型コロナ禍はまだ収まりを見せない中ですが、
この森の中で、ヨハネ生たちは「学びの生活」をつくり出そうと、
規則正しく、健やかさを保てるよう日々を送っています。

今回は、本年4~6月に配信されたニュースレターより、
「人類史のはなし」の続きをお送りいたします。

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 人類史のはなし ―「都市」のふしぎ―(ニュースレター第10号より)
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さて、農耕と牧畜がはじまり、私たちヒトは、
それまで、自然のめぐみとして受けとってきた量よりも、
ずっと多くの食べものを、手に入れるようになりました。

そのことが、人類に、新たなわざわいである、
感染症をもたらしたことも、おはなししてきましたね。

しかし、農耕と牧畜をはじめただけであったなら、
感染症は、その土地だけの病気として、それいじょうは
広がることがなかったかもしれません。

◇─────────◇

感染症を、すべての人類にとっての大問題にしたのは、
狩猟生活のころからは考えられないほど、
ヒトの数がふえたことだといわれています。

そして、ヒトが、とくにたくさんあつまる
場所の代表が、「都市」です。

今回の新型コロナウイルスの問題でも、世界じゅうの
都市で、たくさんの人が病気にかかっています。

感染をふせごうと、各国が「都市封鎖(ロックダウン)」を
おこない、都市の人びとの動きを止めているようすは、
みなさんも、ニュースでご覧になっていることでしょう。

◇─────────◇

ところで、よくかんがえてみれば、
「都市」とは、ふしぎなところだと思いませんか。

大きな建物がたちならび、きらびやかな商品がとびかい、
道をうめつくすほどの、たくさんの人間が、「都市」で
ぎゅっと一カ所にあつまってくらしています。

しかし、「都市」そのものは、自分の食べものを
つくる力を、まったくもっていないのです。

それ自体は、ものをつくる力をほとんどもたないのに、
多くのヒトをひきつけ、集める「都市」。

感染症についておはなししていく前に、この
「都市」のふしぎについて、少しふれてみましょう。

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みなさんのなかに、お米や野菜、肉やミルクなど、
自分の食べものを、自分でつくっている
ご家庭は、どれほどあるでしょうか。

私たちのほとんどが、スーパーマーケットや商店で、
食品や日用品を買いもとめ、それを食べたり
使ったりしながら、生活しているのではありませんか。

「都市」でくらす人の多くは、自分で食料をつくらず、
なにか別の仕事をして、お金をかせいでいます。

そのお金をつかって、ここではない、どこかで、
だれかが用意してくれた、お米や野菜、肉や魚を買い、
毎日を生きているのです。

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だから、もしお店が閉まってしまうと、都市の人びとは、
その日に食べるものすら、手に入らなくなってしまいます。

新型コロナウイルスのせいで、都市に閉じこめられるかも、と
ニュースになったとき、世界中の大きな街で、買い占めが
おきてしまったのも、モノのなくなる怖さを感じたからでしょう。

では、ひとまかせにせず、自分で食べものを
つくってしまえばよいのでしょうか?

それでは、大都市の人びとの多くは、もしかしたら
うえ死にしてしまうかもしれません。

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たとえば、東京23区(人口970万人ほど)でかんがえてみると、
平均して、1平方キロメートル(1000m×1000mのはんい)あたり、
1万5千人の人がすんでいる、といわれています。

だいたい、8m×8mのなかに、1人がくらす計算です。
ぎゅうぎゅうですね!
…そうでもない、と思いますか?

これは、けっこう、とんでもない数字なのです。
だって、狩猟採集していたころは、1000m×1000mあたり、
1人くらいしか、人間がいなかったそうですよ。

長谷川眞理子(行動生態学者)「こんなに異常な『ヒト』の行動」 
 (ナショナルジオグラフィック、世界人口から考える日本の未来)

もし、自然にできる食べものだけで生きていこうとすると、
1平方キロメートルくらいの土地が、1人のヒトに必要なのです。

それなら、農耕で食べものをつくろう!…と思っても、
ヒトがぎゅうづめで、作物をうえる土地も、
家畜をそだてる場所も、都市には、ほとんどなさそうですね。

◇─────────◇

都市は、食べものを、自分ではつくりません。
それは、まわりから、集まってくるものです。

文化人類学者である西田正規先生は、かつて、
ヨハネ生からのインタビューにたいして、
「都市は、辺境に寄生している」とおっしゃいました。

西田先生は、都市が、まわりの農村や辺境、つまり
都市からはなれた土地から、生きるために
本当に必要な、食べものを吸いあげている、いいます。

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都市では、食べものも、日用品のもとになる資源も、
まったく、つくりだすことができません。

そのかわり、都市には、人間がおもわずほしくなる、
めずらしいもの、うつくしいものがそろっています。

きらびやかなファッションや、宝石にいろどられた装飾品、
楽しい遊びや、見たことのないごちそう、などなど…。

そうした、きらきらしたもので、都市は、辺境の人びとを
引きつけ、必要なものを手に入れているのだ、というのです。

◇─────────◇

こうした関係のことを、西田正規先生は、
「寄生」ということばで、あらわしました。

私たちが当たり前のように住みついている「都市」とは、
本当のところ、どのような場所なのでしょうか?

ヒトがあつまれば、感染症のおそろしさは高まります。
それは、新型コロナウイルスの問題をみても、明らかです。

しかし、これだけの人間があつまり、食料があつまり、
「都市」が成立することには、なにか理由があるはずです。

「都市」とは、なぜ、どのようにして生まれたのでしょう。
次回のおはなしに、つづきます。
 

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