田川茂先生お別れの会
田川茂先生お別れの会に聖歌隊として参加したヨハネ生のレポートを掲載します。
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今年7月、暁星国際学園を創立された田川茂校長先生が帰天され、学園内のお御堂にて、家族葬と学校葬が行われました。そして11月、田川先生とのお別れ会が開かれました。
田川先生はキリスト者として、教育者として、ゆるしと愛に満ちた学び舎で、沢山の子どもたちの魂を導いてくださいました。先生を慕う教え子の方々を始め、多くの方々がお集まりになるこの会で、私たちヨハネ生は、田川先生の創ってくださったヨハネ聖歌隊として、ご奉仕する機会を頂きました。
ヨハネ聖歌隊は、田川先生によって生を受け、20年以上に渡って先生に見守っていただいてきました。田川先生は私たちの歌を深く愛され、御ミサから、学園の入学式、卒業式へと、沢山のご奉仕の場をくださいました。先生はご病室でも、「子どもたちの祈りの歌を聴きたい」と、最後までヨハネ聖歌隊のCDを選んで聴いてくださっていたそうです。
私たちは田川先生が守り育ててくださった聖歌隊としてご奉仕し、感謝の思いを伝えたい、そして田川先生のためにお越しになる諸先輩方と祈りを共にしたいという一心で、ヨハネ生全体で声を合わせ、練習に邁進しました。また、家族葬・学校葬の際に一緒に声を合わせてくださった学園の音楽の先生が、この度もヨハネ聖歌隊として共に歌ってくださることになった、という嬉しいご縁もありました。このようにしてコースを超え、学園として共に祈りを重ねてきました。
当日は一部のヨハネ生が皆の想いを背負って会場に向かいました。高く澄み渡る空の下、バスの窓から、青く煌めく海の向こうに、泰然とそびえる冠雪の富士山が見えた時、田川先生が私たちを見守っていて下さる、という思いで胸がいっぱいになりました。
お別れの会は、暁星国際学園の創立の月である11月に、これまでも田川先生が度々イベントで利用されたホテルオークラ東京・平安の間で執り行われました。
格調高い設えの会場には、沢山の方が献花できるよう、大きな祭壇が設置されました。学園のお御堂で微笑みを浮かべていらっしゃる田川先生のお写真を冠して、一杯に咲き誇る白百合と、紅の薔薇と青い花々が、田川先生が神父様として修行を積まれた学びのふるさとであるフランスのトリコロールを織りなしていました。聖歌隊は、その祭壇のすぐ隣に立って背筋を伸ばして歌わせていただきました。
そんな私たちのもとに、思いがけないサプライズがありました。なんと、ヨハネの卒業生の先輩がたが何人も、聖歌隊として共に歌うために駆けつけてくださったのです。田川先生の学び舎での日々を通し、大きく飛躍していった先輩方の中には、田川先生のもとで洗礼のお恵みを受けた方もいらっしゃいました。それぞれ卒業から5年、10年という時間を経て再び集まった先輩がたは、エネルギッシュで華やかで、しかし同時に時間の隔たりを感じさせないほど、ヨハネ生として変質せず、ますます輝きを増しているようでした。
流麗なフルートの調べと共に、時を超えて、この場で再び集まることのできたヨハネ研究の森の大きな家族が、祈りを込めて歌います。田川先生の創られた暁星国際学園で、田川先生と横瀬先生の出会いによって開設し、まもなく四半世紀を迎えようとしているヨハネ研究の森コースの足跡の中で、赦しを受け、信じられるもの、誇りに思えるものと出会えた人びとが、時を超えて集まり、田川先生への、そして学園への感謝を声にのせて響き合いました。
会の後、ヨハネ聖歌隊の姿をご覧になった沢山の方々から、数々の暖かいお言葉を掛けていただきました。他コースの保護者の方からは、聖歌隊が一段とパワーアップしていて、卒業式や入学式での活躍が楽しみだ、と言っていただきました。さらに学外からは、かつて田川先生が校長を努められていた、九段の暁星学園ご出身の大先輩に、田川先生が創られたということが感じられる聖歌隊だった、と、大変光栄なお言葉を掛けていただきました。
世の光、地の塩となれるよう、たたかい続け、私たちの魂にその灯をともしてくださった田川校長先生の学びを、私たちも守り続けてまいりたいという決意を新たにいたしました。私たちがこの場に出会う前から、この場を創り、守ってきてくださった沢山の方々の想いを感じながら、「より高く」を目指し、田川先生が創ってださったヨハネ聖歌隊として、これからも祈りを共にしてまいります。