新入生保護者会 ヘレン・ケラー『奇跡の人』
2012年4月7日(土)

入学式終了後、ヨハネ研究の森では新入生保護者会が行われました。ヨハネ研究の森では、毎年4月を新入生のオリエンテーション期間と位置づけ、「ヨハネ研究の森の根本」を新入生と一緒に考えていきます。ヨハネ研究の森オリエンテーション第一弾は、ヘレン・ケラーの『奇跡の人』がテーマです。


『奇跡の人』要約

 ヘレン・ケラーは、幼い頃に高熱で視力と聴力を失います。見えない、聞こえない、喋ることができない三重苦のヘレン。家族は皆、ヘレンを憐れみ「せめてこの子の好きなようにさせてあげよう」と優しく接し、大切に育ててきました。
 しかし、ヘレンが大きくなってくるとその「わがままぶり」は家族にとって悩みの種となります。食事は食べたい物を食べたい皿から手づかみで食べ、腹が立てば物や人に八つ当たりをする。ことばが通じないヘレンに家族は「それをしてはいけない」と叱ることもできません。
 賢いヘレンは、自分以外の人が口を動かして何か喋っていることに気づき、自分だけ仲間はずれにされていることを知っていました。しかし、目も見えず、耳も聞こえないヘレンはどうすることもできず、苛立ち、癇癪を起こしていたのです。家族は困り果て、施設に預けるべきかと悩み、一通の手紙をパーキンス盲学校へと送ります。
 窮状を知ったパーキンス盲学校の先生は、アニー・サリバンを家庭教師としてヘレン・ケラーのもとへ送ります。『奇跡の人』では、こうしてサリバンとヘレンが出会い、共に生活するなかで「ことば」を獲得するという奇跡を成し遂げるまでの様々な葛藤が描かれている映画です。


「ことば」を手に入れる

 ヨハネ生は ヨハネ研究の森に入学してしばらくすると、個人差はありますが例外なく、「書きことば」を使えるようになります。この新入生保護者会のときも、ヨハネ研究の森四年目の中学一年生の田所さんや中学二年生の打樋くんは『奇跡の人』の二時間弱の映画を実に的確に要約してみせてくれました。
 二百人近くいる人の前で、自分のメモを頼りにほとんど即興で要約をするということを当たり前のようにする中学生。また、それに負けじと高校三年生の今井くんや高校一年生の高玉さんはさらに一歩踏み込んで、「この映画が何を伝えようとしているのか」、「自分の経験と重ねてみて何が考えられるのか」ということを自分のことばで語ってくれました。
 これは、普通の学校で同じことをさせようとしても簡単にはできることではありません。どんなに受験勉強をしても、話を聞いたり、本を読んだりして、それを自分のことばでまとめ、他の人と共有するということはできるようにはなりません。
 毎年ヨハネ研究の森に来て特別講義をしてくださる東京工業大学の丸山茂徳先生は、ヨハネ生がメモをしたり要約するのを見て「うちの大学院生よりも平均の水準が高い」とおっしゃっていたことがありました。


ヨハネ研究の森の秘密

 一体どうして、ヨハネ生は「ことば」を当たり前のように使うことができるようになるのか。その秘密は、このヘレン・ケラーがことばを獲得するプロセスを描いた『奇跡の人』にあります。単語や文法を無理やり詰め込んでも「ことば」が使えるようにはなりません。では、一体どうすると「ことば」が身につくのでしょうか。ヨハネ研究の森には、隠された「ことば」が身につく仕組みがあるのです。


ヨハネ保護者九年目の発見

 新入生保護者の坂井田さんは、今年三月に八年間ヨハネ研究の森に在籍した長男が卒業し、この四月から次男が高校一年生で入学しました、この八年間、保護者会で『奇跡の人』を繰り返し観てきて、今回初めて気づいたことがあるということでお話をして下さいました。

坂井田くんのお父様  私は、この『奇跡の人』の映画を観るのは三回目なんです。何度もヨハネの保護者会で観させて頂いていたんですが、今回、三回目にして「ああ! 」と気づいたことがあったのでお話させて頂きます。私はやっと『奇跡の人』が分かったんです。
 今回、この『奇跡の人』を観るときに、一つひとつの場面を自分の現実に置き換えて観ていったんです。ヘレンを息子に、サリバン先生をヨハネの先生にと、そうして見ると全部つながって観えたんです。「コレだ!」と思いました。
 ヘレンの家族のように、「信じて全てを託す」ということの重要さです。なかなか難しいことですが、長男が卒業して、今年次男が入学しましたが「信じてよかった」と今、思っています。八年間と三回目にして気づきました。そのことを今日発見したので、一言お話させて頂きました。ありがとうございます。


 ヨハネ研究の森では、同じ映像を何度も繰り返し観ます。しかし、これは実は同じではないのです。
 映像を観て、みんなでやりとりをする。他の人がどんな「理解」の仕方をしているのかを聞き、「ああ、そういう見方があるのか」と思う。そう思った瞬間、自分の「理解」が作りかえられます。自分の「理解」の組み替えが行われるのです。
 この「理解」の組み替えが起こると「同じ映像」を見ても、「まったく違う見え方」ができるようになっていきます。「理解」を共有しながら、まったく新しい「理解」が刻々とつくりあげられていくのです。
 ヨハネ研究の森の「セッション」ではこのような「理解の相互形成」を狙って対話が行われています。そして、この「セッション」に参加することを通して、ヨハネ生は「ことば」を身につけていくのです。