学びの自分史
2012年3月16日(金)

自分は今ここに至るまでに一体何を学んできたのだろう。 今、当たり前にできていることは一体いつ身についたのか。

ヨハネ研究の森コース代表 横瀬和治

「学びの自分史」とはなにか

 毎年、ヨハネ研究の森では年度末に「学びの自分史」を書くという習慣があります。自分が一年間、一体何を学んできたのかということをふり返り、自分の言葉で文章にまとめるのです。
 ヨハネ生は毎日、「今日の学習」という用紙にその日に自分が学んだことをふり返って、自分の言葉でまとめるということをしていますが、それを一年間という単位で行うのがこの「学びの自分史」です。特に、高校三年生では、自分が生まれてから今までをふり返ってくるヨハネ生も多くいます。
 「今日の学習」が「日記」とは違うように「学びの自分史」も単なる「自分史」とは違います。では、「学びの自分史」とは一体何なのでしょうか。


自分の変化を自覚する

 教育者林竹二の言葉に「学ぶことは、変わること」という言葉があります。この言葉は、まさにヨハネ研究の森が目指す「学び」を端的に表す言葉です。
 ヨハネ生は「学ぶ」、そして、驚くほど「変化」します。その速さや程度に個人差はありますが、みんな本を読むようになり、文章を書けるようになり、寮で一緒に生活をする先輩に憧れ、真似をしながらたくさんのことを学ぶのです。
 しかし、普段はあまりその変化を自覚することはありません。いつの間にかあまりにも「当たり前」になりすぎて、自分が生まれたときから本を読んだり、文章を書くことができたり、高い目標を目指す志を持っていたりしていたかのように錯覚してしまうのです。
 もちろん、そうでない、どこかの時点で身につけて、できるようになっていったのだということは分かっているのですが、それを自覚的に取り出すということはとても大変なことです。
 しかし、だからこそそれをすることには意味があるのです。今の自分が「変化」しているものだということを自覚すると、自分と違う人に対しても、また自分を取り巻く環境の変化に対しても同じように見ることができるようになるのです。
 「すべてのものには始まりがある」。そして、「すべてのものは、変化し続けている」。そのような視点で、自分自身を見つめ、どのようにして今のような見方や考え方、振舞い方ができるようになったのかをふり返るために「学びの自分史」を書くのです。


過去を通して何を見るのか

 学びの自分史は、一年の学びの始まりから終わりまでを通して書きます。今、この瞬間だけを切り取って見るのではなく、きちんとふり返って、そもそもの始まりから順を追って見ていく。それを通してしか見えてこないものがあるからです。  映画やアニメーションといった動画は、動いているように見えますが、実際には一コマ一コマ違う絵が連なることによって「動いて」見えているのです。  ヨハネ生の「今日の学習」は、アニメの一コマ一コマのようなものです。それを一年分連ねて見ることでまったく違うものが見えてきます。「自分の学び」がどのような「動き」をしてきたのかが見えてくるようになります。その「動き」をとらえて、言葉にするのが「学びの自分史」なのです。  そのような自分の学びの「動き」をとらえることで、一体何が見えてくるのか。そこから、「未来」が見えてくるのです。  大まかな方向として、どこへ向かっているのか、どんな速さで向かっているのか、その先には何があるのかという見通しが立ってきます。こういった先の見通しというものは普段の生活の中ではなかなか見えてきません。  「学びの自分史」を書くことを通して、あらためて自分でも気づいていなかったことに気づくと言う経験を多くのヨハネ生がしています。それは、一年という期間を通して見るという普段とは違う視点から、大きな「動き」をとらえることによって起こっているのです。


「凄い人」はみんな自分の「スタイル」を持っている。
「自分の軸」が具体的な行動や形にあらわれたものが「スタイル」。


自分の軸を定める


 「学びの自分史」を書くということは、日々たくさんのことを学んでいることの中で「これは」という出来事をピックアップすることでもあります。
 自分の転換点となるような体験、忘れることができない経験、何度も何度も立ち返る自分の原点を言葉にすることによって定めていくのです。
 今の自分が考えたり、実践していることは、一体いつ、どのようにして始まったのか。必ず、「はじまり」があるはずです。そこをふり返って、「自分がなぜ今ここにいるのか」ということを明確にすることは、自分の軸を定めるということです。そのように「なぜそれをするのか」ということを自分なりに考えることをヨハネ研究の森では、「意味づけ」と呼んでいます。
 この「意味づけ」が徹底され、軸が定まり、それが具体的な行動や形として現れたときに「スタイル」が生まれます。「凄い人」というのは、「自分のスタイル」を持っている人なのです。
 多くの人は、自分の軸を持っていません。流され、漂っている方が楽だと思っているからです。
 しかし、本当に楽な方がよいのでしょうか。「凄い」と思える先輩に憧れ、徹底的に「真似」をし、自分のものにしていく方がずっと「充実した生き方」ができます。 必ずしも、「楽なこと」が「充実」しているとは限らないのです。むしろ、充実しているときは、決して楽ではないのです。
 ヨハネ生が、他の学校の生徒と最も違う点は、「自分のスタイル」を持とうとしているところかもしれません。そして、その「スタイル」の元となる「自分の軸」は「学びの自分史」の中に見つかるのです。