「歴史」とは何か 〜シュリーマンから岡田史観まで 一学期を振り返る〜
2010年7月17日(土)
ヨハネ研究の森では、2009年度の後半に西田正規先生の『人類史のなかの定住革命』をはじめとする「人類史」の探究を進めてきました。そして今年度に入って、ヨハネ生は「歴史とは何か」という問いに正面から取り組みはじめています。

今年のサマースクール(7月29日〜8月2日)の約10日前である7月17日に、この一学期間を振り返りました。

2010年度、ヨハネの学びは『古代への情熱』の著者、シュリーマンを追いかけることから始まりました。






「徹底的にやる」ことの意味

 トロイ遺跡の発掘により考古学の常識を一新したハインリッヒ・シュリーマン。彼を取り上げるきっかけとなったのは、人間の気質や才能を測定できるという「ラーニング・プロファイルテスト」でした。
 そもそも人間の気質、そして才能とは何なのでしょうか。気質は変わらないし、才能は持って生まれたものである、という説明を私たちはよく耳にします。
 しかし、気質とは本来、「どんな環境の中で生きるか」という要素と大きく関係しているものです。また才能にしても、人間が積み重ねなしで何かをできるようになることなど、決してありません。
 大切なのは、徹底的にやることです。私たちが「この人はすごい」と感じるような人々は、才能のあるなしに関係なく、とにかく徹底的に訓練を重ねています。彼らはくり返しくり返し、人からやめろと言われようが何だろうが、とにかくやり続けるのです。
 ハインリッヒ・シュリーマンも、そのような「徹底的にやる人」でした。
 彼は人生の貧しい時代にあっても、寝る間を惜しんでひたすら学び続けました。シュリーマンが習得した言語の数は、実に10ヵ国語以上に及びます。その勉強量のすさまじさは、普通の人間の感覚からしたら「おかしい」と思えるほどのものだったはずです。
 シュリーマンは、この「徹底的にやる」姿勢を貫き、やがて大きな財産を築きました。そして彼は自らの財産を投げ打ち、幼い頃にあこがれたトロイ遺跡の発掘に挑むことになります。
 しかし、その発掘もまた、当時の考古学の世界からは否定されながら行ったものでした。それでも彼は「トロイは実在する」という信念を曲げることなく発掘を続け、ついにトロイの遺跡を掘り当てることに成功したのです。
では、このようなシュリーマンの行動を支えた情熱は、いったい何に支えられていたのでしょうか。

シュリーマンの情熱

 シュリーマンは、トロイの発掘に成功するまで、考古学の世界から自分の考えを認められていませんでした。誰もがトロイなどただの伝説で、実在した都市であるとは考えていなかったのです。もし関心を持った人々がいたとしても、自分の財産を投げ打ってまで発掘に挑戦しようとはしませんでした。
 それでもトロイに挑んだシュリーマンの置かれた状況、そして彼の尽きない情熱を感じとるため、五月にはいくつかの作品がセッションで取り上げられました。
 TVドラマ「トロイの秘宝を追え!」は、実際の逸話をうまく物語に絡めながら、トロイ発掘に不屈の情熱を向けるシュリーマンの姿を描いた作品です。
 作品の鑑賞後は、失敗と空回りを重ねながらも最終的に発掘へと行動を結びつける高いモチベーションや、目の前のことに全身全霊で取り組むシュリーマンの姿が研究員から指摘されました。
 次に、シュリーマンがトロイ発掘を願うきっかけとなったギリシア神話・「トロイ戦争」について知るため、映画「ヘレン・オブ・トロイ」を鑑賞しました。
 シュリーマンは幼い頃に神話の世界に夢中になり、トロイを見つけ出したいという思いを大人になってついに実現した人物です。
 それではなぜ、子どもの頃に聞いた神話や物語が、大人になってからのシュリーマンを突き動かしたのでしょう。
 このことを考えるために取り上げられたのが、日本に邪馬台国ブームを起こすきっかけを作った在野の研究者・宮崎康平氏でした。


宮崎康平氏の情熱

 宮崎康平氏は、伝説であったトロイの発掘によって現代考古学の扉が開かれたことを例に挙げ、邪馬台国もシュリーマンを待っている、と考えていました。
 宮崎氏は盲目である自分ならではの「耳で聞く」という方法で、魏志倭人伝や古事記を読み解いていきました。漢字を見ることでの先入観に惑わされず、ただ純粋に音の意味だけを捉えていくこの方法は、それまでの研究とは違った斬新な解釈を生み出しています。
 邪馬台国発見に情熱を燃やし、夫婦で九州の地を実際に踏破していく宮崎夫妻。その情熱の結晶である著書『まぼろしの邪馬台国』は、第一回吉川英治文化賞に輝いて日本中に邪馬台国ブームを巻き起こしました。
 今なお日本全国で「この場所こそ邪馬台国」という論が引きも切らないのは、宮崎氏の情熱が多くの人々に火をつけた結果とも言えます。
 宮崎氏の想像力は、邪馬台国の位置の特定だけにとどまりません。やがて、日本書紀や古事記の世界と九州の地を重ねて見るようになっていきます。

 神話の世界と現実の世界とを重ね、両者を結びつけようとするその姿勢には、シュリーマンと共通するものがありそうです。
 このように、シュリーマンや宮崎康平氏の心をとらえ、彼らの情熱に火がつくきっかけとなったのは、神話や伝説といった、人の想像をかきたてる物語でした。
 ヨハネ生の中には、ここまでの学びを通して、神話について研究したいと考えるグループも生まれてきています。
 いったい神話とは、そして物語とは、人々にとってどのような意味を持つものなのでしょうか。


神話とは何か、歴史とは何か

 神話は、世界中の様々な民族や国々で語り継がれてきたものです。日本でも『日本書紀』や『古事記』に多くの神話がおさめられていますし、ギリシア神話の星座の物語なども、私たちに馴染み深いものとなっています。
 それでは、シュリーマンや宮崎氏は、こうした神話をどのように聞いていたのでしょう。単なる伝承やうわさ話として、他人事のように聞いていたのでしょうか。…そうではないはずです。

 神話というものは、その物語が語られてきた民族や国家の「外」の人々から見たら、「何を言っているのか分からない」というものかもしれません。しかし、その神話がまさに語られているその時代、その場所の人々にとって、神話がどういうものだったのか、私たちは考えなくてはならないでしょう。
 この60年間で、神話は嘘で、そのような物語を信じること自体がおかしいという考えが幅をきかせてきています。その代わりに、現代の学校で学ぶのは「歴史」です。
 歴史は「過去の事実」に基づいているから信じるに足りる、と言われます。しかし、歴史とは本当に「事実」なのでしょうか。「この証拠があるから事実だ」と言っていたはずなのに、何年か後に別の発見があると「やはりこちらの方が事実だ」という話になることもあります。いったい、「過去の事実」とは何なのでしょう。
 実は、私たちは、自分たちの生まれ、出自すら本当は分からないのです。もちろん、みなさんは自分が何年何月何日に生まれた、ということを知っています。しかし、私たち自身に生まれたときの記憶は全くありません。それなのに私たちは、なぜ「自分はこうして生まれ、名前の由来はこうだ」と語れるのでしょう。
 それは、家族をはじめとする周りの人々の語る物語を受け入れているからです。私たちが生まれた瞬間、その出だしは、自分自身では絶対に分かりません。しかし、自分にまつわる物語を受け入れ、それを信じて物語っていきます。
 このような、ものの始まりをたどっていくと根本的に何も分からない、という感覚は、人間の誕生だけでなく、神話の誕生にも関係してくることでしょう。
 そして、絶対に分からないはずのことも信じて物語っていく力が、本当は歴史というものを育んでいくのです。
 神話とは何か、歴史とは何か、人が物語るとはどういうことなのか。こうしたことについて、これから一人一人が考えを整理していかなくてはならないでしょう。


岡田史観をさぐる

 神話、歴史、物語、といったことを考えていくために大きな助けとなるのが、岡田英弘先生の歴史観です。
 ヨハネでは今、岡田先生のご著書『日本史の誕生』『倭国の時代』『歴史とはなにか』やセッションを通して、神話や歴史に対する考え方の幅を広げています。
 岡田先生は、「歴史とは、必ずしも古い時代の事実ではない」と述べています。
 そもそも「歴史」とは、材料となる記録を利用して、「歴史家」が創り出すものなのです。
 歴史家は、史料を読み解き、論理の筋が通る説明、つまり「歴史的事実」を導き出します。その歴史的事実を時間と空間にそって並べますが、それで終わりではありません。最後に「これが原因となってこのような結果になった」という因果関係で歴史的事実をつなげてまとめ、完成した世界の全体像を言葉で語ります。これが「歴史」です。

 つまり歴史とは、歴史家によって物語られるものなのです。岡田先生は、歴史とは科学ではなく、物語であり文学である、と説明しています。
 物語である以上、歴史には必ず「歴史家のねらい」が含まれています。歴史家には、自分の書いた歴史という作品を通して、ねらっている効果があるのです。だから歴史は、必ずしも「古い時代の事実」とはなりません。
 ただし、歴史家が書く物語がすべて「歴史」になるわけではない、ということにも注意が必要です。たとえば、要領のいい歴史作家は、人々が求めているものを察して、皆が望んでいる英雄を自分の歴史の中に描いたりします。しかし岡田先生は、このような物語の創造は「歴史的事実の追求にはならない」とし、こうして生まれた作品を「歴史」とは呼びません。

 「単なる創作」と、「歴史」との間には、ひとつの境界線があります。それは「悪い歴史」と「よい歴史」を分ける線です。
 また、歴史の中で「神話」がどのように物語られているかで、それが「悪い歴史」なのか「よい歴史」なのかを判断できるといいます。
 いったい、「よい歴史」とはどのような物語のことを指すのでしょうか。そして、神話とはどのようにして描かれてきたものなのでしょう。

 こうした問いは、人類史の中で神話が果たしてきた役割や、これからの人間に必要となる歴史のあり方の探究へとつながっていきます。また、人が物語る意味についても考えていけるでしょう。
 今回のサマースクールに岡田先生をお迎えし、直接お話をうかがうことで、私たちはその答えに一歩近づくことができるはずです。

(2010年7月17日)