ヨハネ研究の森コース第2期生
2006年3月卒業
早川太基くん
京都大学大学院文学研究科
(2010年7月現在)
ヨハネと私(平安朝の「擬古文」にて)
来し方をかへり見ても、なほ心なつかしきは少年の春、この学び舎に、明け暮れよろづの書ども開き、をのがじし学びし日々なり。
十四の年まで、故郷なる富士の嶺のふもとの学び舎になむありしが、胸のうち語らふべき友もなく、五教科なども心憂きばかりにて、席に出るもやうやう絶えがちに、まいて身の程なむ、夜半の寝覚に思ふにつけて、言へば得に、ゆゆしうも侍りし。さるほどに知れる人「ヨハネてふあり。汝にこそ、相応しかんめれ。学び事、かくしかじか」と語りたまひしよりも、胸開く心地して、ただちに詣で侍りて、門下に連なりつ。
みづから学び、みづから習ふこそ、この学び舎の教へなれ。はじめ英語なむ、殊にいぶせく覚えて、とどこほりがちなるを、横瀬の大人、「学ぶは英語ならんや。英語もて学ばんこそ」と仰せしかば、沙翁の集ひらき見るに、句ごとに面白く、うち誦じ、「かかるを、など?」とて習ひつる。才高き友多ければ、夜更けに集ひて「けふの講義」「見し書ども」「身の行く末」など語り合ひぬ。日本・唐の書ども多く棚に侍りしかば、好む道とて、すべて読み果て、おほかた浮かべぬ。
学び舎に侍りしは四年なりき。身の才なむ、大和魂なむ、いたく進みたる。故郷にありしかば、暗きより暗き道にぞ入りぬべきを、遥かなる月の光、示したまひしは、世にめづらしき「ヨハネの学び」ならずや。
大学に行って知ったヨハネのすごさ(書簡体「候文」)
謹啓。残暑の節、御清穆に遊ばされ、恭賀し奉り候。
陳者:四月以来、日々、大学講義に出席いたし居り候へども、在学のみぎり、「セッション」に参加候て、先生方の御意見拝聴つかまつり候うえ、再三思案いたし候ゆえか、いささかも難儀、覚え申さず候。講義書き取り候ことも亦、同学に相比べ候へば、格段に迅速に御座候うえ、一字一句、正確に御座候間、講義終へ候のち、しばしば借覧を乞はれ候。
先日、授業にて課題これ有り。「道徳教育」につきレポート提出いたし候間、翌週、講堂に罷り越し候ところ、先生、教壇より拙者の名を読み上げ候うえ、「文体・意見、相共に秀絶に候」と激賞あそばされ候。日々、「今日の学習」を書き、しかのみならず、「学びの自分史」執筆いたし候ゆえ、生来、愚鈍に御座候へども、学力身につき候と、唯ただ感じ入るばかりに候。
まこと、ヨハネ研究の森の学恩、天よりも高く候上、海よりも深く候。今後とも、何とぞ御指導くだされ候はば、幸甚にたへず候。恐惶謹言。
八月二日様 受業早川太基頓首百拝
これからの抱負(明治期の「和漢混交文」にて)
余は漢学の徒にして、且つこれに泥むを屑しとせず。夫れ、事の内よりこれを察する者は、何ぞ廬山の真面目を看得んや。事の外よりこれを観て後、わづかに魯殿の結構を眼中に収め、大海の衆水に異なる所以を知らん。
事の外とは、何の謂ひぞや?曰く、万国の文芸なり。なかんづく、希臘・羅馬・阿拉伯・印土の文芸、質量ともに華国に抗すべく、また継承、年久しくして、伝播の広大なることも亦、相似たり。これ皆、民族の古典にして、国民の拠るところなり。これ等を包括し、相連ね、相較べ、究極探覧して然る後、はじめて漢学を論ずるに足らん。文芸を論ずるに足らん。古典を論ずるに足らん。
余は将来、新たなる学問を起こし、新たなる境界を描き、新たなる視点を獲んと欲する者なり。東洋・西洋、相通じて百年、尚文、風を成し、機運すでに熟す。嗚呼、余、薄質菲才にして、身は蒲柳に比すべきも、敢えてその労を辞せざらんと欲す。これを好み、これを楽しむよりは、豈に聖賢の発憤忘食を逐はざるべけんや。
入学を検討されている保護者の皆様へ(現代日本語と漢詩にて)
僕は、ヨハネ研究の森の教育方法によって救われたといっても過言ではありません。中学三年から高校三年までの四年間在学していましたが、そのあいだに「学び方」を学び、さまざまな教科の学力や「言葉の技術」を身につけ、さらに自分が成長してゆくことには終着点がないことも実感しました――そのうえに、現在の僕があるわけです。
先輩として、また現在進行形で学問の道に生きるものとして、お子さんたちに、以下の詩をお贈りします。
【訳】
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一度会ったら、もう友達。
ヨハネにようこそ。ほんとに、嬉しくなっちゃうな。
夜遅くまで、竹の葉がさやさやと響く窓辺に坐り、
ともし火のもと、さあ、いっしょに色々な本を読もう。
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