■『硫黄島からの手紙』の功績

尾崎英二郎 尾崎英二郎講演レポート

 『硫黄島からの手紙』に出演できて良かったと思うことが3つあるという。ひとつは世界に発信される 映画で自分が演技できたこと、ひとつはそのことで家族、友人、ファンが喜んでくれたこと、そして最後 にそれを通して多くの人と出会えたことである。ヨハネ生に出会えたこともその喜びのひとつで、これか ら共有することになる数時間はこれから生きる人生の中ではとても短いものだけれども、今後生きていく 上でのヒントになれば、そして自分は若いみんなからエネルギーをもらいたい、と話を始められた。

『硫黄島からの手紙』の功績

今回尾崎さんが出演した『硫黄島からの手紙』は日米合作という形をとっており、その作品が挙げた功績 は両国ともに大きい。アメリカの場合、これまでの戦争映画(この映画以前に製作されていた硫黄島の戦い を描いた作品等)では日本兵をただの"enemy"としてしか描いていなかったが、今回は「日本側の視点」と して日本人を心ある人間として描いた。世間的な評価ももちろん、"reality"を追求することが重要とされ ているアメリカ映画界にとっても、そこに大きな評価がされているという。そして日本にとっての功績は、 なんといっても戦争を「知らしめた」ことが一番である。アメリカに比べて、日本はこれまで国内で戦争の ことが語られてこなかった。現に尾崎さんはこの映画以外にも舞台などで戦争を描いた作品に出演している が、硫黄島の戦いはこの作品と出会うまで知らなかったという。

歴史の見方

 「歴史を学ぶとはどういうことか」ということを、いまヨハネでは大きなテーマとして扱っている。尾崎 さんはそのテーマに「俳優」というところから挑戦していた。
 尾崎さんが俳優になるきかっけとなったのは、大学生のときのネブラスカへの留学だった。
 1年間の滞在期間中、現地の友人から「エイジロウ、どうして日本は真珠湾を攻撃したんだ」という質問を 受けたり、日常的に「戦争は本当に悪なのか」という会話が行われていた。これまで日本で「戦争は絶対に いけないこと」と教わっていた尾崎さんにとって、その日常は刺激の多いものだった。
 たしかに戦争は大きなビジネスにもなるし、外交のひとつと考えることもできる。しかしだからといって人 と人が殺し合うことが悪いことではない、とはいえないのではないか。「日本人の目をもって、戦争を考えよ う」と思ったそうである。尾崎さんの場合、その日本人の見方を語っていく場が、俳優だった。
 尾崎さんがヨハネにいらっしゃる前日のセッションで話題となった「どうして尾崎さんは戦争映画に多く出 演しているのか」という疑問へのヒントもここで提示された。
 そして、「今を生きるためには最近の歴史を特に学ばなければならない」という。学校では縄文時代、ある いはさらにそこから遡った時代から授業がはじまる。数万年前、数千年前の授業に時間をさくあまり、重要な 近現代史は結局授業時間が足りなくなってしまう。
 しかし、例えば今起こっているアジア諸国の問題、日本自体の問題を考える時に、数万年前のことばかり考 えていてもらちがあかない。
 戦争は遠い昔のように思えるが、ほんの60年前に起こった出来事である。その当時少年・少女だった人は私 たちの祖父・祖母にあたる。咲いてはすぐにちる桜や、セーラー服、学ランといった私たちの日常にあるもの も戦時中の名残である。今の私たちが持っている意識、価値観、常識は60年前の戦争とまったくの無関係では ない。親のために死ぬことが出来た戦時中の人々の理性から私たちが倣うべきものもあるのではないか。善し 悪しの議論をしたいのではない。
 学校での歴史の扱い方はわざわざことばにするまでもなく片手落ちなものに見える。そもそもそれ以前の問 題として「今を生きるために歴史を学ぶ」という意識が皆無なのではないか。自分の生き方と照らし合わせる ことや、今の常識ではなく当時の常識を想像することを抜きに歴史は見ることが出来ないだろう。年号暗記と いうレベルではなく、歴史上の人物の心情を想像してみるというところから「日本人の目」、「自分自身の目 」は始まっていくのだろう。

おわりに

 今回の尾崎さんの話を受けている中で、尾崎さんを丸山教授(東工大地球惑星科学)に重ねていた。質疑応 答の後に「夢を見つけたらそれに向かって本気になれ」というお話をしてくださったが、尾崎さんはただがむ しゃらに夢に向かっていたわけではない。
 多少の語弊があるかも分からないが、丸山教授と重なって見えた点は<戦略性>である。丸山先生は今年度 のサマースクールで「世界のトップになったと感じる瞬間というのは、世界トップのグループに入り、そこで トップになったと感じた瞬間だ」とおっしゃっていた。尾崎さんは多くの俳優がしているように事務所に所属 して、日本で成功してハリウッドに行くという方法をとらずに、『The Last SAMURAI』でバトル・コアとして 参加し、「それはハリウッドの扉を叩くためだった」と意味付ける。事務所に所属していないからこそ出来た 方法だ。
 ファン私設サイト(http://eijirofan.fc2web.com)にある『海外の作品のキャスティングで「日本人・ア ジア人の役なら彼にやらせたい!」と思わせる俳優になりたい。』ということばがその根本にあるように思う。
 ただ夢を描くだけではなく、その具体的な方法、アプローチを次々と講じて、実践していく人のことを「プ ロフェッショナル」と呼ぶのではないだろうか。機会があれば、そこのところのお話をまた伺いたいと思って いる。 (高1 Y.H.)