ヨハネにおける「基礎・基本」とは何か

 ヨハネ研究の森コースの学びは、「自学」を核として、全学年で共通のテーマを追究する「共同研究」や グループ単位で行われる「ゼミ」などを通して行われます。
 見学にいらした方などからよく聞かれる質問のひとつは、「共同研究」が「総合的な学習」に、「自学」が 「教科の学習」に相当するのですか、というものです。ある意味では、そういう面もなくはありません。 しかし、通常の教育課程では、「教科の学習」と「総合的な学習」とはまったく切り離されてしまっています。 ヨハネ研究の森の挑戦は、この二つを有機的に結びつけて、単なる「試験のための学力」を超えた、「実際に 使える学力」、すなわち「生きる力」の獲得への転換を図ることにあるのです。
 通常「基礎・基本」などというと、各学年で学ばなければならい内容を、反復練習したり、暗記したりする ことのように思いがちです。実際、学校が週休二日制になり、「基礎・基本」の学習不足を危ぶむ声がマスコミを にぎわし、それを補う学習参考書が飛ぶように売れています。確かに、どうしても身につけなければならない 「基礎・基本」は存在します。ですが、「学力」を「生きる力」だとすると、生きる時代が変わる以上、 求められる学力も変化するはずです。

 ヨハネ研究の森コースでは、4月に約30名の新入生を迎え、在校生を含めて総勢100名弱となり、4月、 5月と「学びのオリエンテーション」を行っています。4月中は、年間の共通テーマに先立ち「プロジェクトX  挑戦者たち えりも岬に春を呼べ」を題材に「共同研究」のオリエンテーションとなるセッションを 7回行いました。映像を見て、あらすじを振り返るときにはさほど問題にならなかったのですが、ちょっと した疑問を解決しようとすると、実にさまざまな知識が必要だということに気がつかされました。ヨハネ研究の 森コースのめざす「研究」は、小学生の夏休みの自由研究程度ではすまされません。十分な「基礎・基本」も必要です。
一方、「自学」もスタートしました。本格的な「自学」がはじまる日の午前中、横瀬先生より、「自学」に向けての心構えとして、 「ヨハネにおける『基礎・基本』とは何か」という特別講義がありました。ともすれば、問題を解いていればよいだろう、 と思われがちな「自学」ですが、新入生、在校生、全スタッフの総勢100名を越す聴衆を前に、新入生にとっては始めての、 在校生やスタッフにとっては改めての、「自学」の目的を考える機会となるよう、多くの実例を挙げての横瀬先生の熱い語りが 繰り広げられました。ここではそのほんの一端をご紹介しましょう。


−4月19日横瀬先生の講義より−
「ことば」と「数」 


 今日の私の話の本論は簡単です。
photo  今私は頭の中であることを考えています。しかし、これは「ことば」を使わなかったら伝えることができません。 今日の私の話のポイントの一つ目は「ことば」を使えるようになることが大切だということです。「ことば」を使える ようにするということは、単語や漢字を暗記することではありません。しかし、単語や漢字を知らなかったら、 「ことば」は使えません。皆さんは、今一生懸命メモをとっているけれども、「ことば」を知らなかったら、 そういうこともできないのです。さらに、今日この後みなさんは「自学」の時間に、自分のメモを整理すると思いますが、 そのときは、やはり「ことば」を使って、私の言ったことを整理しなおすことになります。これが「考える」ということです。 そうすると、「ことば」が使えないと、メモをとったり、それをまとめたりすることができないということになります。
 漢字が書けないとか、それ以前に、字が書けないとか、口が利けないという人はここにはいません。ここにいる人は、 本も読めるし、新聞も読める。ただし、偏りがあるのです。だから、ある種の本になると読めないのです。漢字が たくさんあるから、知らないことばがあるから読めないというのと、言っている内容に関心が示せない、興味が示せないと いうのとは、本当は違うことなのです。みなさんは、たとえ読んではいけないものでも、読みたくなったら読むでしょう。

photo  二つ目は「数字」を使ってメモしたり、考えたりできるようになることが大切だということです。
私たちは、ににんがし、にさんがろくのような九九のように、計算したり、方程式を解いたりということを、あまり意味が わからなくてもやっています。実は私たちがものを考えたり、整理したりするときに、「ことば」とともに「数」を使って いるのです。今この私たちの生活は数字を抜きには考えられません。保科先生、そろそろですか?(保科先生「そろそろです。」) これでははっきりしませんね。保科先生、この話はあと何分ですか?(保科先生「あと15分です。」)ほら、15という「数」が でてきましたね。このように、数学的、算数的処理ができないと、非常にあいまいで不安になります。
さらに、大雑把な言い方をすると、「グラフ」とか「図式」が最低限扱えるようになってなくてはいけません。


「基礎・基本」は相対的

photoこの中には、Jリーグをめざしている有望な人もいます。サッカーにはサッカーをやるための持久力をつけなくては いけないとかいう「基礎・基本」があります。プロレスをやる場合にはプロレスラーとしての「基礎・基本」があります。 運動が違うと、「基礎・基本」も変わってきます。すもうにはすもうをとっていくための「基礎・基本」として四股が あるとか、短距離走、中距離走、長距離走のそれぞれに「基礎・基本」があります。当然人間がものを学んだり、 考えたりするような、ものを学んでいくための情報処理にも「基礎・基本」があるのです。

ヨハネにおける「基礎・基本」

 ヨハネにおける「基礎・基本」とは、最低限度「ことば」、「数字」、「グラフ」を使って、ものごとを把握したり、 捉えなおしたり、まとめたりすることができるということです。
漢字をいくつか知っているかということではないのです。
 それから、「ことば」というときに注意しなければならないのは、おしゃべりのことではないということです。 おしゃべりは誰でもできますが、人の前で自分の考えやその根拠をきちんと書くように話すことができるという人は あまりいません。つまり書くように話すということが「基礎・基本」です。
 昨年度東京工業大学大学院教授の丸山先生がヨハネ研究の森にいらして、お話をしてくださったときに、 「生きていくうえで数学は必要だと思うか。」という質問をされて、「必要ないと思う。」と答えた人がいましたね。 それに対して丸山先生がどういうふうに反応するのか見ものだと思いました。そうすると、丸山先生は一瞬息を呑まれて、 「豊かに生きることができるためには必要だ。」とおっしゃいました。これは、至言であり、名言であると思います。
photo  人の言っていること、考えていることを整理してみると、「ことば」と「数」が扱えるようになっていたら、だいたい大丈夫で、 そこそこ「豊かに生きることができる」、つまりやっていけるということです。それさえしっかりしていれば、あとは 多少わからないことが出てきても、全体で何を言おうとしているのかを捉えればよいのです。良い悪いではなくて、 人の考えは「ことば」と「数」と「図式」で表されているのです。


「表現する」

 最後に、自分の考えを人に伝えられるかどうかということがとても大切だということがあります。
 自分の考えを自分以外の人に共有してもらえなければいけないのです。逆に言うと、「学力」が高いと いうことはそういうことです。