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 私は今、問題解決フォーラムの運営委員の一人として活動しています。 この委員会の場に置いて、自分でも参加意味を明確にさせると同時に、皆さん にこの活動の説明をしていきたいと思い、ここに感想文を書いています。  まず初めに、この問題解決フォーラムを簡単に説明していきたいと思います。 このフォーラムは名前からも想像出来るように、問題解決という事を生徒中心 に行っていく、話し合いの場です。問題提起―推考―解決というような大きく 分けて、三つの段階をふまえ、話し合いを進めていきます。そして、この段階 に置いて、理性と感情を分けて話すということが、この場におけるルールとし て、非常に重視されています。なぜならば、感情を表に出してしまうと、もめ 事になりかねないからです。もちろん、そうならない場合もたくさんあると思 いますが、果たして、そのような環境の場で、段階をふまえ、問題が解決でき るでしょうか。又、感情は、人それぞれ、違うのが当たり前です。もちろん、 理性的に判断した意見も一概に正しいとはいえませんし、個々で意見も違いま すが、感情的になるよりも、はるかに的が絞られ、結果が出しやすいのは確か だといえるでしょう。  そして、このような中で、問題解決の環境を作る手助けを話し合いにより、 見出すのが運営委員です。話し合いの司会もかねて、どのようにしたら、一人 一人の意見がきけるのか、そのような環境とはどのようなものなのか、毎週二 時間ほど時間をもらい考えています。ある意味、このような問いに対して、正 解はないと思います。だからこそ常に話し合い、様子を見つつ試行錯誤してい かなければならないのです。したがって、運営委員には思考の柔軟性を求めら れていると思いますし、運営委員自体にしっかりとしたビジョンがなければい けないと思います。ヨハネでは、このように生徒だけで話し合いを進めていく ことが初めてですから、話し合いに対する意味づけが難しい人もたくさんいる のです。つまり、生徒同士で話し合って、どんな意味があるのか。この事をわ ざわざ、授業時間にやる意味とは何なのかと。しかし、逆に言えば、これらの ことから、ヨハネという場所が、どれだけ物事に意味を見出して、積極的に取 り組まなければいけないところかということを反映しているといえるでしょう。  この運営委員の役割は、このようになっているのですが、私個人としては、 ある一つの壁を乗り越えるため、日々が訓練です。この壁とは、まさに表現・ 手段の難しさです。もちろん、複数人で物事を取り決めているわけですから、 出てくる意見は、ばらばらです。しかし、会議ような場合なら、話し合い、多 数決で決めることも考えられます。しかし、同じ考えなのに、表現・手段が 違った場合、どうすればよいのか、よく考えなくてはいけません。なぜなら、 その時は、意見の対立ではなく、視点の対決だからです。  分かりやすく、言えばこうなります。以前の会議で、少人数で行えば意見が 言いやすいという結論に達していました。しかし、メンバーをどのように分け たらいいのか。考えた結果、くじなどでランダムに決める・各学年それぞれ人 数を調整し全学年がいるように平均になるように決める・学年ごとで区切って 決めるという三つの提案があがりました。どれも、同じ目的を達成するために 立てられたものです。でも、この三つのどれかにしないといけない。こうなっ たとき、第三者の視点が重要になってきます。なぜなら、これは問題解決の環 境整備なのだから、みんながいいと思う環境が理想だからです。  結局、学年別という提案に意見が落ち着きましたが、時がたてばたつほど、 このような細かな問題は多くなっています。だから、今の私にとっても、これ からの私にとっても、この表現選択には、もっと訓練が必要だと感じています。 だから、私はこれからもこの運営委員で活動し、この壁を越えたいと思ってい るのです。
問題解決フォーラム
哲学の応用法〜運営委員会から〜
ヨハネ研究の森コース中学3年生 鈴木 珠生