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本校、ヨハネ研究の森コースの生徒の保護者である、
(株)ピーチ・ジョン
社長 野口美佳さんが子育てについて語られた 記事が日経新聞、1月13日版に掲載されました。 その記事をご紹介します。
子どもは高校一年の長男、中三の次男、小学一年の長女、それに生まれたばかりで 三ヶ月の三男の四人。輸入下着のカタログ販売を始めて十五年たつが、自営業同然なので 子育てには恵まれている。自分の都合で生活を送れるからだ。仕事との両立に不安を感じた ことはない。
でも乗り越えなければならないことはあった。長男が中学一年の時に学校にいこうとしな くなった。当時私は仙台に住む家族と離れ、東京暮らし。子どもたちは夫や、最も信頼の置け る両親が見守り、私は安心して仕事に打ち込んでいた。
「このごろ学校からすぐに帰ってきてしまう」という母からの電話で長男の異変を知った。 すぐ本人に電話したが、何を問いかけても、「別に」「まあ」と愛想のない相づちだけで、 会話が成り立たない。いてもたってもいられず、そのまま仙台へ飛んでいった。
彼の様子は思ったより深刻で、テレビを遠ざけ、団欒にも加わることもなく、一日中寝て ばかりの無気力状態。彼の横にくっつき回っては話を聞き出そうとしたが、心を開いてくれ そうもない。これは本気で相手をしなくては。できるだけ時間を使わねばと思った。出社 しないでも仙台で仕事ができるようにと、段取りを整えた。
引きこもっているのを何とか外に出そうと、私が習いたてで熱を上げていたスノーボード に誘った。「学校を休んで遊びに行っていいの」と彼は臆病になっていたが強引に連れ出した。
平日の人けのないゲレンデは開放感にあふれ、気持ちいい。リフトに並んで座り、休息して お茶を飲み、ラーメンをすする。何回か通ううちに会話の内容が深まっていく。彼の思いが 少しずつ明らかになり、学校に行けない自分を責めているのも分かった。何不自由なく育った 十三歳の少年は、不満や疑問を表現する知恵も行動力もなかっただけだ。
学校は普通の進学校で宿題に試験、部活動。やることが多すぎて、彼は疲れているようだった。 先生ももちろん心配はしてくれたものの、「我慢させることも大切、とにかく当校させて下さ い」と、なんとなく本質からずれているような助言しかもらえない。
仕事で各国を回っていた私は、ちょうど自分自身も「学び」について目覚めだしていた。 訪問国の歴史や地理、文化への興味は尽きず、外国人と直接話したいために積極的に英語を学 ぶようになった。学習が楽しくて仕方ない。勉強は意欲があってこそと実感したので、そうで ない息子に、勉強を続けさせるのは嫌だった。三ヶ月の間、子どもたちとみっちり過ごして引き 出した結論は転校となった。
試験のための勉強でなく、学ぶことを楽しめる、そんな学校はないものか。
息子たち と一緒に探し当てたのは、千葉県の暁星国際学園だ。望んでいたカリキュラムがあり、先生とも 考えが一致した。これなら子どもを託せると、思い切って兄弟そろって寮生活をさせた。
それから三年。漫画しか読まなかった二人なのに、長男は「数学者か哲学者になるんだ」と、 いきいき学問し、次男はせっせと小説を書いている。会うたびに知識が増え、世界情勢、精神論、 文学論と幅広く会話は続く。今では私の勉強を助けてもらっている。
あえて長男の転校を選ぶ
(株)ピーチ・ジョン社長 野口 美佳